経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■【日本庭園を知って楽しむ】5-08 自然風景式庭園 苑路(園路) えんろ

2025-02-20 17:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

  ■【日本庭園を知って楽しむ】5-08 自然風景式庭園 苑路(園路) えんろ   

  若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 *

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

 *

■■5 庭園を見る視点・要素 自然風景式庭園
 庭園を鑑賞するにあたり、庭園を構成するものが、どの様な意味合いを持つのかを知っているのと、そうでないのとでは、鑑賞の度合いが大きく異なります。
 ここでは、自然風景式庭園を構成するものについて、その鑑賞のための基本的な知識を持っておきたいと考えます。

5-08 苑路(園路) えんろ
 通路のことを「苑路(園路)」といいます。苑路を歩くことで、苑内を周遊できる庭園を「廻遊式庭園」といいます。桂離宮などがその最も速い時期に作られた例です。
 身分の高い公家や天皇などの行幸のために特別に設けた苑路のことを「御幸道(みゆきみち)」といいます。茶亭への露地を兼ねて、途中に待合腰掛を設けたり、橋をかけたりすることもあります。
 苑路の地面には、砂利や砂が敷かれたり、土表面をつき固めたりしたものがあります。飛び石や延段(のべだん)、階段などを使ったものなど、さまざまな彩りの植栽や灯籠、手水鉢を道の左右にしつらえ、四季折々のさまざまな変化をつけることもあります。見た目だけではなく、足触りにも変化をつけて、苑内周遊をより楽しいものにすることにも繋がります。
 道の中央を蒲鉾(かまぼこ)のように盛り上げて水はけを考慮したり、高低差をつけたり、あるいは苑内での方向を変えたりして、変化を導き出す役割もしています。




桂離宮 園路(苑路)


(【Wikipedia】、宮元健次氏、重森完途氏・コトバンクを参照して作成)

■ 日本を代表する庭園        
      都道府県別    

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 ■ カシャリ! ひとり旅



ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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■【心 de 経営】『書話力』を高める 7117 〃話のネタ〃の選び方 気がかりな事象

2025-02-20 12:03:00 | 【心 de 経営】 表現力を高める

  ■【心 de 経営】『書話力』を高める 7117 〃話のネタ〃の選び方 気がかりな事象 


 私には、「正しい日本語」とはなにか、というようなことを書いていくだけのバックグラウンドがあるわけではありません。一方で、人前でお話をする機会が多々あります。少しでも「美しい日本語ですね」と言われるような言い方をしたいと平素からこころがけています。
 経営コンサルタント歴半世紀の経験から体得した『書話力』を皆さんとわかちたいと考え、図々しくここにご紹介します。あまりにも「あたり前」すぎて、笑われてしまうかも知れませんが、「あたり前のことが、あたり前にできる」という心情から、お節介焼き精神でお届けします。
■【あたりまえ経営のすすめ】3 すべてのビジネスパーソンがめざす一歩上の発想とスキル
  時代に即したスキルを磨きながら、業務に活かし、自分の更なる成長に繋げるにはどうしたらよいのでしょうか。その方法は、多岐にわたると思います。
 「あたりまえ経営のきょうか書」シリーズの第三章として、経営コンサルタントという仕事を通して、感じてきたことを、ビジネスパーソンに共通する面を中心にお話しています。
■3-710 〃話のタネ〃 テーマ・話材の選び方

 「日本人は、議論に弱い」「日本人は、論理的な話し方ができない」などとしばしば言われます。かくいう私も、そう言われる人間のひとりです。
 しかし、経営コンサルタントという仕事を半世紀も続けているうちに、それでは通じず、次第に、私なりの話し方やビジネスの仕方が、不充分ながら身についてきたように思えます。話すだけではなく、書くことにも共通する「表現力」というスキルがビジネスパーソンには不可欠です。「書く力」「話す力」をあわせて『書話の力』といい、表現力というスキルの一翼を担わせています。
 この体験は、当ブログ「【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業」としてもお届けしています。
 
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/c39d85bcbaef8d346f607cef1ecfe950
  ■7117 〃話のネタ〃の選び方 気がかりな事象
 2019年に発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が蔓延したときには、「いつ収束するのだろう」と不安になりました。これから世の中がどうなるのだろうかという「将来の見通し」については、多かれ少なかれ関心を持っているでしょう。
 〃話のネタ〃として、かつては、成功事例や経営がうまく行く話しなどを聞きたがる傾向にありました。しかし、近年は傾向が少々変化して来ています。私の経験からでは、コンサルタント・士業のテーマの〃話のネタ〃として、聴き手から関心の高いテーマとしてのひとつが、「今後、どうなるか」ということです。いろいろな分野でも、その中においても、とりわけ景気とか、テクノロジーとか、経営に関わることが「今後、どうなるか」という観点での関心が高いようです。
 2024年の年初から「生成AI」ということばがマスコミを賑わし出しました。「AIがこれからどう変化し、どの様に対応したら良いのか」という観点での講演や研修ニーズが急速に高まりました。聴講者の多くは、テクノロジーとしての、あるいは利用者としての観点でのAIに関する知識・情報を求めていました。
 私は、「皆様のご期待とは大きくそれますが、私の本日の話は、生成AI時代にいかに生きていくかという観点での話にフォーカスさせていただきます」と切り出します。はじめは期待していた内容と異なるので、しらけムードも感じられることがありましたが、経営に、どの様に影響してくるのかということに次第に興味を持ってくれるようになり、多くの場合、最後には「本日の話は大変に参考になりました」とリップサービスも含めてお声をいただけました。

 「生成AI」「AI」という時流に乗ったテーマであるとともに、まだまだ知識や情報として十分に身についていないことにより、聴き手におけるそのような反応という結果に繋がったと考えます。
 このことからも、〃話のネタ〃、すなわち何をテーマにするかということの選択法のひとつとして「知識・情報としてあまり知られていないこと」を挙げることができます。これは、前述の「挿入話」などに使いますと効果的です。
 生成AIは、時流に乗ったテーマでもありますが、日常的なビジネス界での話や、日常生活などにおけるテーマも良き〃話のネタ〃になります。
 たとえば、「健康問題」です。SNSで騒がれるようなトッピックス的なテーマよりも、意外と身近な健康問題が結構受け入れられます。例えば、「目薬のさし方」「歯の磨き方」などと誰もが知っていて、やっていることで、一見するとあたりまえすぎて関心を持たれない内容が、意外と反応が良いのです。ただし、テーマの付け方に工夫をします。「目薬をさしても効果は少ない!」というようなタイトルにしますと、「そんな莫迦な」という思いでいるのでしょう、逆に注目してくれます。

 SNSで盛り上がっている内容に、一時的な盛り上がりに過ぎないことが多いです。そのために、一過性の内容は取り上げても一時的であって、継続的ではありません。継続的に同じテーマで話を続けてゆきますと、その度に内容を強化しますので、深みが出てきます。「さすが、その道のプロだな」という感想を持たれることが多いです。
 聴き手の耳は肥えていますので、単なる知識・情報としての提供ではもの足りません。話し手の経験から生じてくる〃智慧〃が滲み出る話が聴き手を引きつけるのです。

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■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】 2月19日 ◇「あたり前のことをあたり前にできるようにする」とは? ◇国際郵便

2025-02-20 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  ■【小説風老いぼれコンサルタントの日記】 2月19日 ◇「あたり前のことをあたり前にできるようにする」とは? ◇国際郵便 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

2月19日

 JR東海、西日本、九州の3社は、東海道、山陽、九州新幹線にまたがる一部区間で4月から料金を改定されます。
 JR九州は平均15.0%値上げ、その他は、一部値下げ区間を含みますが変動はそれほど大きくなさそうです。

 ビジネスモデルは、時代とともに変化をしています。
 一方で、ビジネスパーソンのあり方の多くは、基本があまり変化をしていません。
 若手ビジネスパーソンの中には、基本を大事にする人がいて、仲間とともに,ビジネスパーソンとしての基本を身につけようとしています。
 その様な場に招かれ、定期的に講話をしてほしい旨を頼まれました。

 

■ 03 あたり前のことをあたり前にできるようにする

 

 近年、経営コンサルタントの先生が「あたり前のことをあたり前にできるようにする」ということをおっしゃるようになり、それがマスコミなどでも、あたり前のように言われるようになりました。

 40年余前に、私が経営コンサルタントとして独立起業したときに、「あたり前のことがあたり前にできる企業創り」を目指していると話をすると、「その様なことにお金を払う必要があるのか」という反応が一般的でした。

 あたり前のことを教えてもらうために、経営コンサルタントに高額な顧問料を支払うつもりはないというのです。

「営業は足で稼ぐ」という、古い営業方法は、今日、馬鹿にされます。しかし、自社の商品・サービスにピンポイントなニーズを持った見込み客に対して、適切なアプローチを繰り返すことにより、受注に結び付けられるというのは、昨今のマーケティングでも形を変えて生き残っています。

 効果ある手法は、時代が変化をしても、時代に即した形にカスタマイズして行けば、業績も改善するのです。


 経営コンサルタントとして、走りたての若造であった私にとっては、「あたり前のことがあたり前にできる企業は成長する」ということは信念でもありました。

 その表現を改めたり、プレゼンテーションのやり方を変えたりして、その信念を貫いて40余年、よくもこれだけでやってこられたものだと、我ながら感心します。

 ベテラン営業パーソンの多くが、伸び悩んでいることを目の当たりにしてきました。彼らは、自分の営業スタイルに固執し、その成功体験から、その観念から脱することができないでいるのです。

 上司も、適切なアドバイスをすることができなかったり、相手がベテランだけに躊躇したりするので、ベテランほど業績が好ましくないままなのです。

 足で稼ぐというあたり前のことを、それとなくアドバイスできるのが経営コンサルタントなのです。


 では、なぜ、ベテランは、業績が良くならないのに、自分の営業スタイルを変えようとしないのでしょうか。

 私は、吉田兼好の徒然草に出て来る「高名の木登り」の話を良くします。

 高名の木登りが、若者に木の登り方を指導するときに、若者が登り始める前も、登り始めてからも何も言いません。登りきって、降り始めても、それでも何もアドバイスをしません。あとわずかで地上に降りられるところに来たとき、「気をつけろ」とひと言、言ったそうです。

 あとわずかというときには、気が緩みがちなので、それをいましめたのです。慣れたこととも同じで、いつもと同じようにできると思って、気軽にやっているとミスをします。

 前述のベテラン営業パーソンも、自分の成功体験から、このお客様は、必ず受注にたどり着けるという自信が、そのお客様の購買を決断させる様な「決め言葉」のパンチが弱くなってしまっているのです。足で稼ぐという、あたり前のこともおろそかになりがちです。


 心づかいができる人というのは、常に相手に対して注意を払っていますので、ちょっとした言葉や態度の端々から、相手の気持ちの変化を読み取れるのです。平素から相手の言動に対する注意力を忘れずに、相手の一挙手一投足にまで集中することを忘れるとほころびが出てしまいます。

 当たり前なこと、簡単なことというのは、換言しますと「基本的なこと」なのです。基本を軽視しては、失敗することに繋がりかねないと自分を戒めるべきではないでしょうか。

■【今日のおすすめ】

 日本庭園を知って楽しむ】5-051 庭園を見る視点・要素 自然風景式庭園 橋 構造別の分類

 庭園めぐりを趣味にしてから数年が経過しています。

 しかし、庭園に関する知識が乏しいと、せっかく訪れても楽しみが半減されているのではないかと考え、一念発起して、日本庭園に関して学び始めました。

 自分自身の知識習得のためにまとめました。

 よろしければ、ご覧くださると幸甚です。

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。
   この欄には、発信日の【今日は何の日】などをご紹介します。

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/7c95cf6be2a48538c0855431edba1930

■【知り得情報】

 政府や自治体も、経営環境に応じて中小企業対策をしています。その情報が中小企業に伝わっていないことが多いです。その弊害除去に、重複することもありますが、お届けしています。

◇《公募》令和7年度「中小企業活性化・事業承継総合支援事業」に係る企画競争の募集
 中小企業庁では「中小企業活性化・事業承継総合支援事業」の実施機関を、公募要領のとおり募集します。応募希望者は、下記より公募要領をご参照ください。
 https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/2025/250203m_and_a_chousa.html

   出典:e-中小企業庁ネットマガジン

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 

 外国に手紙を出したことがありますか? 219

 1877年に、郵便の国際機関である万国郵便連合(UPU)に日本が加盟しました。
 郵便の世界で日本が国際的に認められたのです。
 近年は、メールやSNSを使って海外とコミュニケーションを取っている人はたくさんいると思います。
 しかし、昨今では、海外に手紙を送ったことがある人は少ないのではないでしょうか。

 1970年にサラリーマンの私は単身で渡米し、ニューヨークに駐在事務所を構えてアメリカでの市場開拓を任されました。
 当時は日本企業で海外に進出しているところは少なく、まだまだ日本製は安かろう、悪かろうという認識の時代でした。
 日本にいる家族とのやりとりは手紙でした。
 薄い便せんを使い、できるだけ切手代を節約するようにしたのが懐かしいです。 

 

(ドアノブ)

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

 明細リストからだけではなく、下記の総合URLからもご覧いただけます。
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17

 

  >> もっと見る

■バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db


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■【きょうの人】 0220  啄木誕生日 ジッと手を見る  本日、ゆかりの人をご紹介

2025-02-20 06:33:00 | 【話材】 きょうの人02月

 

  【きょうの人】 0220  啄木誕生日 ジッと手を見る

 

 本日、ゆかりの人をご紹介します。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

 啄木誕生日

 いしかわ たくぼく
 1886年(明治19年)2月20日-1912年(明治45年)4月13日)

 日本の歌人、詩人で、本名は「石川 一」は、結核によりわずか27歳でなくなりました。

 岩手県南岩手郡日戸(ひのと)村(現在の盛岡市日戸)に、曹洞宗日照山常光寺住職の父・石川一禎(いってい)と母・カツの長男として生まれました。

 1898年(明治31年)12歳、岩手県盛岡尋常中学校(啄木入学の翌年、岩手県盛岡中学校と改名、現盛岡一高)で学びました。同校の三年先輩には金田一京助が、また、10年後には宮沢賢治が入学します。 

 中学生時代に、のちに妻となる堀合節子や、親友の岡山不衣、金田一京助らと知り合うことになります。

『明星』を読んで与謝野晶子らの短歌に傾倒し、また上級生の野村長一(のちの野村胡堂)や及川古志郎らの影響を受け、文学への志を抱きました。短歌の会「白羊会」を結成したのもこの頃です。

 1901年(明治34年)12月から翌年にかけて友人とともに『岩手日報』に短歌を発表し、啄木の作品も「翠江」の筆名で掲載されました。これが初めて活字となった啄木の短歌だったのです。

 1904年(明治37年)1月8日、盛岡にて堀合節子と将来の話をし、後に結婚します。

 啄木は盛岡において落ち着いた生活が続きましたが、1907年(明治40年)1月、函館の文芸結社・苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)より原稿の依頼があり松岡蕗堂らと知遇を得ました。

 1907年5月5日、函館に移り、5月11日から5月末日まで函館商工会議所の臨時雇いで生計を立てます。函館区立弥生尋常小学校の代用教員となりました。代用教員在職のまま函館日日新聞社の遊軍記者も兼ねましたが、函館大火により勤務先の小学校・新聞社がともに焼失してしまいました。 

 近く創刊される野口雨情がいた小樽日報社の『小樽日報』記者となるも、12月には社の内紛に関連して暴力をふるわれ退社しました。雨情の起こした主筆排斥運動に荷担しましたが、主筆側の巻き返しで雨情一人が退社する形になりました。

 1908年(明治41年)1月4日、小樽市内の「社会主義演説会」で当時の社会主義者、西川光二郎の講演を聴き、西川と面識を得て、釧路新聞 (2代目)(現在の北海道新聞社)に編集長として勤務しますが、上司への不満と東京での創作活動へのあこがれから、釧路を離れる決意をしました。

 1909年(明治42年)1月1日、当用日記に「今日から24歳(数え年)」と記します。『スバル』創刊、発行名義人になります。3月1日に『東京朝日新聞』の校正係となります。

 1910年5月下旬から6月上旬にかけて小説『我等の一団と彼』を執筆します。6月3日には明治天皇の暗殺を計画したとされる幸徳秋水・管野スガら社会主義者・無政府主義者が多数検挙された大逆事件が発生しました。

 1930年(昭和5年)京子が妊娠中に急性肺炎を起こし、二児を残して24歳で死去、その2週間後には房江も肺結核により19歳で急逝しています。

 啄木の詩などからは、想像のできない波乱の人生だったように思えます。

 

◆ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

 


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【今日は何の日】 2月20日 ■ 東大寺修二会の準備行事「別火」 ■ 箸墓古墳が初めて発掘された日 ■ 花粉症とアレルギーの日 ■ ワシントン誕生日 ■ 箸墓古墳が初めて発掘された日

2025-02-20 00:03:00 | 【今日は何の日02月】

 

  【今日は何の日】 2月20日 ■ 東大寺修二会の準備行事「別火」 ■ 箸墓古墳が初めて発掘された日 ■ 花粉症とアレルギーの日 ■ ワシントン誕生日 ■ 箸墓古墳が初めて発掘された日

 一年365日、毎日が何かの日です。

  季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。

  これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。

  独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。 詳細 ←クリック

今日は何の日インデックス】  日付を指定して【今日は何の日】を閲覧できます

■ 東大寺修二会の準備行事「別火」

 東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟であります、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始しました。以来、1200回を超えて実施されて、今日では、3月1日より2週間にわたって執り行われています。

 12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11名の僧侶が発表され、明けて2月20日より、3月1日からの修二会に備えて「別火(べっか)」と呼ばれる前行が始まります。


■ 花粉症とアレルギーの日

 2月20日というのは「アレルギーの日」です。1995年に日本アレルギー協会が制定しました。日本の免疫学者がブタクサが原因で花粉症なるということを発見したことにちなんでいます。

 ブタクサは、外来植物で、日本全国にあっという間に広がり、道ばたでも見かける雑草です。夏に咲く、2~3mmの黄色い小花が集まって房状に細長く咲く花ですので、見たことがある人が大半ではないでしょうか。

 かくいう私も40年近く花粉症に悩まされています。杉花粉と檜花粉にかかっていますが、近年は薬でくしゃみの方は何とかなりますが、目のかゆみは時々悩まされます。ブタクサは、日本では杉と檜に次いで三番目に罹病者の多いアレルギー物質です。

 外来種というのは、恣意的にもたらされると言うより、意図せず入り込むのが一般的で、固有種を駆逐するほどいずれも繁殖力が強いですね。セイタカアワダチソウもしばしば話題に上ります。

 西湖にくにます発見がニュースに報道されましたが、湖はブルーギルをはじめたくさんの外来魚に在来種が駆逐されてきていることがよく知られています。あまり知られていないことの一つにタンポポや水仙など気がつかずに外来種を愛でているようです。
 

■ ワシントン誕生日(年により日付が異なる)

 アメリカの初代大統領であるジョージ・ワシントン(1732~1799)の誕生日は2月22日です。今日では、2月第3月曜日が「ワシントン誕生日(Washington’s Birthday)」となっています。第3月曜日は、2月15日から21日までの間ですから、実際の誕生日と重なることはないのです。

 2月12日生まれのリンカーンを共に記念して、公式的にではありませんが、「大統領の誕生日 (Presidents’ Day)」とも呼ばれます。

 州によっては、ワシントン誕生日とは別に2月12日をリンカーン誕生日 (Lincoln's Birthday) としています。

 州によって祝日が異なるのが“合衆国”たるゆえんです。日本でも、例えば10月1日は「都民の日」で、公立の小中学校や都立高校はお休みですが、他の道府県ではいつもと同じに職場や学校が開かれています。


■ 箸墓古墳が初めて発掘された日

 卑弥呼の墓が何処にあるかご存知ですか? 

 卑弥呼の墓どころか、邪馬台国そのものが何処のあったのかすら確定できていません。

 ご存知のように畿内説と九州説があります。

 この論争に、終止符を打てるのが邪馬台国の女王である「卑弥呼の墓」が見つかることです。そうではないかという説があるのが奈良県の箸墓古墳です。ところがこれまでは、箸墓古墳の調査は行われてきませんでした。

 私もその一人ですが、意外と感ずる人も多いと思います。

 実は、宮内庁がを第7代の孝霊天皇の娘の墓として、皇室管理下にあることを理由に、一般の人の立ち入りを認めていなかったのです。

 ようやくのことですが、2013年2月20日に、奈良県桜井市にある全長およそ280メートルの前方後円墳である箸墓古墳に、研究者が立ち入ることが初めて許可されました。

 古墳が日本で作られ始めたのは、3世紀半ばかから後半といわれています。これがちょうど卑弥呼が亡くなった時期とほぼ一致することから、この陵墓が卑弥呼の墓ではないかという説が持ち上がりました。

 近畿地方にあった古墳の中で、規模が最も大きく、強大な力を誇った卑弥呼にふさわしいという考えからです。

 はじめて調査を行ったということでは画期的なことですが、日本史の重要な史実を明らかにできる可能性があるこのような調査は、宮内庁も協力をすべきではないでしょうか。

(ドアノブ)

 

趣味・旅行のブログ

 


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