【きょうの人】 1104 ■ 隠元隆琦 インゲン豆を日本に ■ 定山 定山渓温泉の立役者
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■ 定山 定山渓温泉の立役者
美泉 定山(みいずみ じょうざん)
文化2年(1805年)- 明治10年(1877年)11月4日)
北海道・札幌の奥座敷「定山渓温泉」は、美泉定山により広められました。
彼は1805年(文化二年)に備前国(現岡山県)曹洞宗の名刹妙音寺の二男とで生まれ、十七歳の頃より全国の霊山霊地を行脚し、現北海道である蝦夷地にまできました。
1853年(嘉永6年)に48歳で北海道へ渡り、1866年(慶応二年)アイヌ民族の案内で当地に至りました。ここで、源泉を確認し、病に悩む人々を祈祷と湯治で救おうと努力をしました。
幕末の探検家・松浦武四郎の紀行文では、定山が温泉宿を営み、また定山寺を創建し、「定山渓」の名前の由来となりました。
1876年(明治8年)、小樽と「定山渓」を結ぶ山道開発にも携わっています。
温泉で病を癒やしたり、道路開発などの社会貢献をしたりという定山の心は、今日に至っても脈々と続いてきています。
ちなみに、「美泉(みいずみ)」という苗字は、1870年(明治2年)ごろ「平民苗字許可令」が発令された時に、定山が、そのように名乗ったと伝わっています。
http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/hokkaido/hokkaido-jouzankei/hokkaido-jouzankei01.html
■ 隠元隆琦 インゲン豆を日本に
隠元隆琦(いんげん りゅうき)
万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師
勅賜として真空大師、華光大師
明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。
独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。
また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。
明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。
日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。
承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。
インゲン豆は、16世紀末にヨーロッパを経由して中国に伝わり、1654年、明からの帰化僧であります隠元隆琦が、日本に持ち込んだといわれることから、この名がついたそうです。
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