【きょうの人】 0210 良忍生誕 百丈懐海忌
本日、ゆかりの人をご紹介します。
そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。
■ 百丈懐海
ひゃくじょう えかい
749年(天宝8載) - 814年2月10日(元和9年1月17日)
諡号:大智禅師 宗派:洪州宗
中国福州長楽県の生まれ。
西山慧照の会下で出家し、衡山の法朝律師の許で具足戒を受けました。
その後、馬祖より嗣法し、師の没後に、洪州百丈山(江西省宜春市奉新県)に住し、はじめて、律院から独立した禅院を設立しました。禅門の規範(清規)「百丈清規(ひゃくじょうしんぎ)」という禅宗独立の基礎を定め、自給自足の体制を確立しました。
後世、叢林開闢(そうりんかいびゃく)百丈禅師と称して尊敬を得ました。
1月17日は、百丈大智禅師懐海の没日です。毎年この日に法会が催しされます。
元和9年(814年)1月17日に寂し、長慶元年(821年)に大智禅師と諡されました。
【Wikipedia】 百丈
百丈懐海(ひゃくじょう えかい、749年(天宝8載) - 814年(元和9年))は、中国、南宗禅中の洪州宗の祖馬祖道一の法を継ぐ唐時代の禅僧。懐海は法諱。大智禅師と諡される。
福建省福州長楽県の生まれ。俗姓は王氏であり、名族である太原の王氏の末裔であり、永嘉の乱の混乱を避けて、遠祖が福建に移り住んだものという。
■ 良忍 生誕
りょうにん
延久5年1月1日(1073年2月10日)? - 天承2年2月1日(1132年2月19日))
平安時代後期の天台宗の僧で、融通念仏宗の開祖。聖応大師(1773年、安永2年)。「良仁」とも書き、房号は光静房または光乗房。尾張国知多郡の領主の秦道武(はた の みちたけ)の子。
12歳で比叡山に登り、天台・眞言・華厳を学びました。東塔常行三昧堂の堂僧となり、雑役をつとめながら、良賀に師事、不断念仏を修めました。
22歳から23歳のころ京都大原に隠棲して念仏三昧の一方で、来迎院・浄蓮華院を創建しました。寂光院も良忍による創建説があります。
分裂していた天台声明の統一をはかり、大原声明を完成させました。
1117年(永久5年)阿弥陀仏の示現を受け、「一人の念仏が万人の念仏に通じる」という自他の念仏が相即融合しあうという立場から「融通念仏」を創始しました。
その後、融通念仏の総本山大念仏寺の前身である修楽寺を創建しました。
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