【きょうの人】 0609 ■手塚 治虫 漫画・アニメ表現の開拓者 ■ピョートル大帝(1世) 帝政ロシアの代表的な皇帝
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そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。
■ 手塚 治虫 漫画・アニメ表現の開拓者
てづか おさむ、本名:手塚 治
1928年(昭和3年)11月3日 - 1989年(平成元年)2月9日
説明するまでもなく、日本を代表する漫画家であり、アニメーター、アニメ監督としても活躍しました。戦後日本においてストーリー漫画の第一人者として、漫画表現の開拓者的な存在として活躍してこられました。
兵庫県宝塚市出身(出生は 大阪府豊能郡豊中町、現在の豊中市)で、同市名誉市民でもあります。大阪帝国大学附属医学専門部を卒業。医師免許取得のち医学博士(奈良県立医科大学)を持っていました。
大阪帝国大学附属医学専門部在学中の1946年1月1日に4コマ漫画『マアチャンの日記帳』(『少国民新聞』連載)で漫画家としてデビューしたのですね。知りませんでした。
1958年頃より、各漫画誌で桑田次郎、武内つなよし、横山光輝などの売れっ子漫画家が多数出現していて、手塚は、漫画家達の中の一人に過ぎなくなっていました。そのためにノイローゼにまでかかったという話も残っています。天才にも、その様なことがあるのですね。
幼少期からディズニー映画を愛好していた手塚は、もともとアニメーションに強い関心を持っており、
1961年、手塚は自分のプロダクションである手塚プロダクションに動画部を設立、後に虫プロダクションと改名しています。
1963年に、自作をもとにした、日本初となる30分枠のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』を制作、現代につながる日本のテレビアニメ制作に多大な影響を及ぼしたことはいうまでもありません。
当時、従兄弟達が、それを見る年代で、テレビにかじりついていたことが、昨日のように思い出されます。
しかし、アニメブームと共に、多くの同業社の乱立・乱作から、コスト競争に直面し、倒産にまで追い込まれました。私の知人が、その時の管財人をしていました。
晩年近く、1980年代になりますと、幕末から明治までの時代に自身のルーツをたどった『陽だまりの樹』(ビッグコミック)など、歴史物で円熟味を示し、青年漫画というJANするに新たな代表作を手がけることになりました。
100歳まで描き続けたいと言っていた手塚は、昏睡状態を断続的に起こしたにもかかわらず、病院のベッドで医者や妻の制止を振り切り漫画の連載を続けていたそうです。
死に立ち会った人によりますと、「頼むから仕事をさせてくれ」というのが手塚の最後の言葉であったといわれています。
最後まで、漫画・アニメーターだったのですね。
■ ピョートル大帝(1世) 帝政ロシアの代表的な皇帝
Pyotr I Alekseevich(ラテン語表記)
1672年6月9日(ユリウス暦5月30日)-1725年2月8日(ユリウス暦1月28日)
モスクワ・ロシアのツァーリ(在位:1682年 - 1725年)、初代ロシア皇帝(在位:1721年 - 1725年)。
ツァーリ(皇帝位)を父に持ち、大北方戦争での勝利により、ピョートル大帝と称されるようになりました。
ロシアをヨーロッパ列強の一員に押し上げ、スウェーデンからバルト海海域世界の覇権を奪取してバルト海交易ルートを確保しました。黒海海域をロシアの影響下に置くことを目標とした「南下策」をとりました。
これらを達成するために治世の半ばを大北方戦争に費やし、戦争遂行を容易にするため行政改革、海軍創設を断行しました。その実現のために、貴族に国家奉仕の義務を負わせ、正教会を国家の管理下に据えるという、帝国における全勢力を皇帝の下に一元化しました。
また歴代ツァーリが進めてきた西欧化改革を強力に推進し、外国人を多く起用して国家体制の効率化に努めたことも知られています。
1721年に大北方戦争の勝利を記念し、元老院にインペラートルの称号を贈らせ、国家名称をロシア帝国に昇格させたのです。ロシアを東方の辺境国家から脱皮させたその功績は大きく国内で評価され、「ロシア史はすべてピョートルの改革に帰着し、そしてここから流れ出す」とも評されるほどです。
私が高校生の世界史の時間に、先生がピョートル大帝の逸話として、大帝は背が低く、いつも家臣から見下ろされているのが嫌で、厚底のハイヒールを履いていたことを話してくれました。その先生は、「視線の重要性」を人間関係の見地で話してくれたのです。
しかし、実は、ピョートル大帝が、「ハイヒールを履いた最初の皇帝」ではないことが、後にわかりました。
大帝は、身長203cmの大男であって、普通の人間と並ぶといつも首だけ高く出っ張っていたそうです。復活祭等の挨拶をする際には、背中が痛くなるほど身体を屈曲させて周囲にあわせたという逸話が残っているくらいです。
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