新暦1708年4月28日(宝永5年3月8日)に宝永の大火と呼ばれる大火が京都でありました。
Wikipediaによると下記のように紹介されています。
南西の風に煽られて被害が拡大し、禁裏御所・仙洞御所・女院御所・東宮御所が悉く炎上、九条家・鷹司家をはじめとする公家の邸宅、寺院・町屋など、西は油小路通・北は今出川通・東は河原町通・南は錦小路通に囲まれた上京を中心とした417ヶ町、10351軒、佛光寺や下鴨神社などの諸寺社などを焼いた。
「地震雷火事親父」といいますが、江戸も大火が多い街ですが、京都も戦乱などで何度も灰燼に帰しているのですね。しかし、東日本大震災に比べると地域が限定的で、それらと比べても2011年の震災の大きさがわかります。
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