【きょうの人】 1216 ■ 尾崎 紅葉 明治の文豪 泉鏡花ら後進を育成 ■ 田中 正造 日本最初の郊外に立ち向かった男
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そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。
■ 尾崎 紅葉 明治の文豪 泉鏡花ら後進を育成
おざき こうよう
1868年1月10日(慶応3年12月16日)- 1903年(明治36年)10月30日
江戸時代に生まれた、明治時代の小説家で、本名は徳太郎といいます。「縁山」「半可通人」「十千万堂」「花紅治史」などの号も持っています。
1885年(明治18年)、山田美妙らと硯友社を設立し「我楽多文庫」を発刊しはじめました。『二人比丘尼 色懺悔』で認められ、『伽羅枕』『多情多恨』などを書き、幸田露伴と並称されて「紅露時代」を築き、明治期の文壇の重鎮といえます。
1897年(明治30年)から『金色夜叉』の執筆を始めましたが、未完のまま没してしまいた。泉鏡花、田山花袋、小栗風葉、柳川春葉、徳田秋声など、優れた門下生を育ててました。
小説だけではなく、俳人としても角田竹冷らとともに秋声会を興し、正岡子規と並んで新派と称されました。
■ 田中 正造 日本最初の郊外に立ち向かった男
たなか しょうぞう
天保12年11月3日(1841年12月15日)- 1913年(大正2年)9月4日)
幼名、兼三郎、下野国安蘇郡小中村(現・栃木県佐野市小中町)の出身です。
日本の政治家で、日本初の公害事件と言われる足尾鉱毒事件を明治天皇に直訴した政治家として知られています。衆議院議員選挙に当選6回。
足尾鉱毒事件は、19世紀後半の明治時代初期から栃木県と群馬県の渡良瀬川周辺で起きた、日本で初めてとなる公害事件です。
銅山の開発により排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が周辺環境に著しい影響をもたらし、1890年代より栃木の政治家であった田中正造が中心となり国に問題提起しましたが、加害者決定はされませんでした。
足尾の精錬所は1980年代まで稼働し続け、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出されるなど、21世紀となった現在でも影響が残っています。
学生時代に、鉱山跡に行ったことがありますが、周囲の木々は立ち枯れたまま残っていました。その不気味さは、人気もないことから今でも覚えています。
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【 注 】
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