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サンドウィッチ

2009年12月19日 | 田舎生活の衣食住
 これで、220円。でもさ、パンでお腹一杯にするにはご飯の倍の量とそれに伴うお金が掛かるよね。このところ、インフルエンザではないのだが、どうも風邪を引いたらしく、喉が熱くて、サンドイッチとか、マカロニサラダとかが食べたかった。
 ゆで卵と味噌汁と。


甘いもの解禁

2009年12月19日 | 田舎生活の衣食住
 イチゴのチーズケーキ。そもそも、スポンジは嫌いなので、そこは残した、ケーキの中で最も好きなのはチーズケーキ、それもニューヨークチーズケーキが好きだ。レアやベイクドではない。しっとりしながらも重量感があり、チーズの旨味と甘さがマッチし、スポンジやパイでごまかしていないもの。
 これはレアとスポンジだったがまあまあいけた。30%割引ってことだったけど、200円以上はしたな。

「二輪二脚の八重山巡り」島弁その2タコライス

2009年12月18日 | 八重山諸島の旅
 とにかく食べたい物ばかり、買いたい食材ばかり。
 この日はタコライスを産まれて始めて食べた。飲食店での本格的なタコライスではなく、おにぎり。それでもチーズとチリ、トマトとご飯がマッチして、何とも言えない美味しさ。
 これ、おにぎりでランチにすごくいい。海苔はなくてもいいが、チーズとトマトがご飯にこんない合うとは思わなかった。こんな不思議な美味しい食べ物が沢山あろのも沖縄の魅力のひとつ。
 八重山そばは、与那国で1回、石垣で2回しか食べるコトができなかったが、もう、毎食でもいいくらい。しかし、それよりもさらに美味い物が目の前にあるのだった。

「二輪二脚の八重山巡り」国指定重要文化財の宮良殿内

2009年12月18日 | 八重山諸島の旅
 市内の唯一の観光名所と言っても過言ではない宮良殿内。看板はあるが分かり辛く、本島に普通の家の中にポツンとある観光地。
 宮良殿内(みやらドゥンチ)石垣市大川にある王府時代の建造物。l8l9年八重山頭職の宮良(親雲上)当演時代に建造。首里の貴族屋敷をまねた建築と言われる。
 こんな歴史ある建物だ。だが、だーっれもいないし、声をかけても出ちゃ来ない。中から、「笑っていいとも」の音声が聞こえているが…。
 3回声掛けたさ。でも誰も出て来ないんだから仕方ない。観ちゃいましたよ。勝手に。入場料払わずに。もしかしたら、お賽銭みたいに入場料は自分でどこかに入れるシステムだったかもsいれないけど、はっきり言って200円くらいだけど、「入場料撮る程のもんじゃないよね」。ただ、」国指定重要文化財だから、その保存のための資金としてお布施としてなら払いますとも。

「二輪二脚の八重山巡り」石垣島の鍾乳洞で「トトロ」に会う

2009年12月18日 | 八重山諸島の旅
 ホテルで自転車を借りて(3時間は無料その後1時間ごとに100円)、市内を見て回る。あやぱにモール(石垣市公設市場)は是非行ってみたい所だったのだが、市場は小さく、お土産屋さんばかり。「ふーん」。
 で、桜林寺を探しまわっていたら、あるにはあったが、仁王像は貸し出し中とかで、「意味ねー」。
 この日は、今回の長旅の休息日と決めていたので、遠出はしたくないが、あっという間に、市内を一周してしまったところで、
八重山鍾乳洞の看板が目に入った。まあ、行くか?
 それがまた、坂道。与那国程ではないが、自転車なんか走っちゃいない。
 そして、1050円の鍾乳洞。「高いよねー」とぐずりながら、市内で手に入れたフリーペーパーを数冊ぱらぱらめくっていると、売店のおばちゃんが、「何してるの?」と声を掛けてきた。「入場が割引に成るクーポン無いかなと思って探してます」。すると、あばちゃんが、入場券売り場のお姉さんに聞いてくれた。「割引は無いんですが、ストラップをプレゼントのクーポンはあります」。
 どうでもいいような貝のストラップ。でも、ただの物は貰う。こういった中国人根性はこの11年で培われてしまったのだった。思わず入った鍾乳洞。それが自分以外誰もいないから怖いったらありゃしない。
 そりゃあもう早歩きで、一刻も早く外に出たいって感じ。
 そう、子どもの頃から、お化け屋敷とか駄目だったー。あー、1050円損したー。
 これが自然が造り出した「トトロ」です。

「二輪二脚の八重山巡り」これは外せない石垣牛の握り

2009年12月17日 | 八重山諸島の旅
 たまには美味しい物も食べますよ。と言うことで、石垣牛の握りセット。握り5カンともずく酢、蟹の味噌汁にサラダ、香の物が付いて、1500円。が、これは航空券を購入した旅行社のサービスで1回の食事は(店とメニューは選べる)サービス。
 牛って甘味があまり好きではなく、すき焼きでもしゃぶしゃぶでも豚派なのだが、軽く炙った握りはぺろりと食べられる軽さ。やっぱ生肉って美味しいよね。と久し振りの豪華な夕食に舌鼓。
 もはや、ダイエットは過去の記憶の彼方。だが、毎日に運動量が多いので、体重は気にならなくなった。日常に戻っても、食べたい物は食べて、運動で絞り込もうと誓う。
 そもそも、ダイエットの目的は、久し振りに潜ろう(ダイビング)とウエットスーツを着たら全く入らなかったためで、この旅が終われば、またしばらくは「体重なんか関係ないさ」。

「二輪二脚の八重山巡り」島弁その1おにぎりカマボコ

2009年12月17日 | 八重山諸島の旅
 石垣島に戻り、「そうだ港の下見に行こう」と出掛けたのは午後5時過ぎ。売店は6時に閉まるので、お弁当を扱っている売店全てが、半額や150円いった信じられない値段でのお弁当の投げ売り。まだ、調子は万全ではなく、サンドイッチかおにぎりで軽くすませようと思いながらも、折角の石垣島なのだから、名物も食べたいと悩みに悩み、石垣牛バーガー390円を半額の195円で購入。すると、店のおじいが、「もう最後だからこれもあげるさ」と、これまた名物のおにぎりカマボコを1個気前良く、袋に入れてくれた。「これ1個でお腹いっぱいになるよ」。って、ダイエットしてたんだ…。
 初めて食べたおにぎりかまぼこは、ジューシーと言う、沖縄特有のまぜご飯のおにぎりをカマボコで包んだ物で、本当に1個で十分の大きさとボリューム。味は、具の少なめの薄味まぜご飯と、肉厚のカマボコを揚げてあるのだが、食感はおでんに入れる練り物的でもある。が、もっとあさっりしている。
 結構美味しそうなお弁当があるので、バックパッカーや食費にお金を掛けたくない人は、午後6時前に石垣港に集合だ。
 また、石垣港の正面にあるホテルのロビーではシークワーサージュースやサンピン茶がいつでも無料で飲めるので、何度も通っちゃいました。

「二輪二脚の八重山巡り」与那国1周完走!

2009年12月17日 | 八重山諸島の旅
 朝8時の循環バスで祖納まで行き、東崎から軍艦岩、立神石までを自転車で走り、11時のバスで久部良まで戻る。立神石から久部良まで自転車で行くのも(根性と気力次第では)可能だが、この道は前日に逆方向から走り、「島で一番きついコース」の難所だ。知らないから行けたものの、再挑戦は無理。
 そして、久部良ではお昼を食べて、日本最南端之地、ナーマ浜、クブラバリ(久部良割り)を歩く。このお昼を食べるのも一苦労で、周辺で食べられる店は2軒のみ。しかも、島値段とでも言おうか、観光価格なのか、一番安い定職で700円もした。
 コンビニでもあれば、1個100円のおにぎりを買って、ナーマ浜で海を眺めながら食べたいところだったのだが…。7個も買える。
 それでも、2時過ぎくらいには宿に戻り、やることもないので、おばちゃんの、「玄関の畳で寝てたらいいさ」の言葉通りに、玄関を入って正面のフロント(?)、右手の畳の大広間で横になる。もちろん襖も無ければ、窓も前回。前日より大分気温は上がっているものの、風の強さは、寝るには寒いくらい。
 持参した一番厚手のトレーナを掛けて、ゴロゴロしてたら、寝てしまった。よく考えたら、知らない家の玄関先の居間で勝手に寝てる様なもんだよね。突然誰かが訪ねて来たりしたら真っ先に目に入る場所で、大の字のわたくし。
 そして、その誰かが訪ねて来たのだった。人の気配に気付いて目を開けると、玄関で話しをする、30歳前後の女性と宿のおばちゃん。突然1人でやって来たその女性は、泊まるらしい。しかし、真の目的は、「ここでスタッフを募集してたので」きちゃったらしい。おばちゃんは、「決まっちゃった」と答えていたが、「なんで電話して確かめないんだろう?」と考え出したら、なぜか寝ていられなくなった。
 そしたらその女性は、「○○でも(スタッフを)募集してましたのでそちらに行ってみます」って、またアポ無し。電波少年じゃあるまいし。そして、なんだか、中途半端な時間に循環バスの停留所でバスを待つ彼女を見た。
 働きに来た割りには荷物は小さいキャスターバッグとトートーバッグだけだし。働きに来る前に、働けるか否かを確認しなくちゃねー。そして、思ったのが、外国でも国内でも、その土地に憧れて憧れて、「住みたい」と行ってしまう人ってやはり少し行っちゃってる。スタッフ募集→私→住めるの方程式が一挙に頭の中に広がってしまうのだろう。もう、自分の中で完結しちゃって相手もあることだし…まで考えが及ばないのだろう。
 あー、ビックリ。
 最後、空港で、整備スタッフ等が一列に並んで、滑走路に向かう航空機に一礼をし、手を振ってくれていた。それがまた、カッコいいのだ。「グッドラック」みたいに。それに、こんな経験は初めてだったので(成田なんかの国際空港じゃ無理だよね)、その姿を見ていたら、なぜか、この島での思い出やら、もう再びここに立つことも無いだろうなど色んな思いが交差して、涙が出てしまった。
 与那国島は、周囲に波風をさえぎるものはなにもなく、強い冬の北風と荒い波が島に打ちつけ、乾燥がはげしく、土の層も薄い厳しい環境だ。そこがまた、魅力でもあるのだが、何せ遠い。そう何度も訪れることは出来ないだろう。
 最初で最後の与那国かも知れないが、出会った人たちとの貴重な思い出は生涯忘れることはないだろう。
  

うぜえ、薬剤師って人

2009年12月16日 | 田舎生活の衣食住
 またまた、薬剤師。「お薬変わってますけど、前のは利かなかったんですか?」。「症状はどうですか?」。ってそんなのドクターと話してるわ、だから、問診料払ってるんだろうが。
 で、ドクターもいい加減さがあり、言ってた薬が出てないから、それを伝えると、「じゃあ、電話します」。これはいい。
 しかし、その間、待ち時間があったんで、「2種類塗り薬が出てますけど、どっちを先に塗ればいいんですか」と聞くと、「さあ、どっちでしょうか。どちらでもいいんじゃないでしょうか。先生は何と(言ってました)」。ってさ、ここがあんたの仕事なんじゃないの? 余計なこと聞いてないでさ、薬の効能と使い方を教えるのが仕事でしょーが。
 人の病状あれこれ聞いてさ、聞いた所で判断出来ないじゃん。薬剤師なんだから。
 あーっ、頭に来る。こんなシステム止めてくれ。
 そして、いかにも医療関係者ですみたいに白衣着て、興味本位の質問を国が止めてくれ。あんたのそのバカでかい大声をみんなが聞いてるんだからさ。
 都心の人には理解出来ないだろうが(自分も理解出来ない)田舎の人は「興味」という部分がもの凄く広く締めてて、関係ないことやどうでもいいことまで知りたがる。ようするに良く言えば平和。結局、暇なんだよね。悪く言えば、頭が悪い。

「二輪二脚の八重山巡り」再度、立神岩を目指す

2009年12月16日 | 八重山諸島の旅
 立神岩まで行けなかったことを宿で告げると、「あすこの道は一番大変さー。明日、バスで祖納まで行ってさー。そこで自転車借りて立神岩まで行けばいいさー。東崎もそっからすぐさー」とバスの時間も決められた。
 バスは、与那国で3つに分かれる集落を日に4本くらいで結ぶ、「循環バス」と紙に書いただけの普通のワゴン車。自家用車の無い島民の足ということだろう。無料。
 停留所には、一応、バスの時刻表もどきの立て看板はあるものの、それが引き抜かれて倒れてる。「本当にここでいいのか」。良かった。バスは来た。
 そして、祖納のレンタカー屋(ホンダだ)で自転車を借りたい旨遂げると、「自転車か」と驚きながらも、「上っちゃえば後は下りるだけだからさ」と、またも道行き不安な言葉を投げかけられた。
 確かに、東崎までの上り坂のきついことったらない。しかし、海沿いの1本道を強風に煽られながら走ると、自然に「銀の龍の背に乗って」が頭の中をグルグル回る心地よさが合った。
 これって、以前、司馬台の万里の長城を上った時に、「万里の川」を口ずさみながら己を元気づけていた以来。しかし、この時は、「どこまで行けばいいのですかー流れる川はー」で、「万里の長城じゃねー」と急速にテンションが下がったのだった。
 話しは逸れたが、確かに、自転車立ち漕ぎ並びに押しながら行ったかいのあった東崎。馬しかいなかったけど。あいつら野良なのだろうか? そして、1本道の立神岩。
 コトー先生になった気分だった。
 しかし、帰り道、1本道にも関わらず迷って迷って、サトウキビ畑のど真ん中。

「二輪二脚の八重山巡り」だってコトー先生は自転車じゃん

2009年12月15日 | 八重山諸島の旅
 泊まった宿の目の前が漁業組合。泉谷しげるらがいっつも騒いでたあの場所です。しかし、人の気配は無かった。
 午前11時。早々に与那国散策開始。なので、宿でバイクを借りることに。なぜなら、全てのガイドブック、ネットで、「島は起伏が激しいので自転車では無理」と書いてあるからだ。実に15年振りくらいにバイクに乗ろうってわけ。
 が、出されたバイクが重くて転がせない。しかも、「ガソリン満タンで返却」と言われたそのバイクにはすでにガソリンは半分しか入っていない。おばちゃんにその旨伝えても、おなちゃんはバイクには疎くて、「あれま?」。
 そもそも、バイクの重さが、1人で、動かせない。これは体力が衰えたためか、はたまた歳だからか? で、「無謀」な自転車で行くことにした。
 自転車は、ブレーキも30%くらいしか利かない、サビサビ。潮風にさらされてるのだから、こんなんだろう。漕ぎ出してわずか5分。試練はすぐに訪れた。目の前には、牛の糞だらけの1本道。それが波打っているのが肉眼でもわかるくらい、上っては下り、下っては上りなのだ。だが、もはや、自分の足はこの錆びた自転車しか無いのだ。
 「行くしか無い」。両脇に放牧されてるんだか、忘れられてるんだか、半野良状態の牛の視線を感じながら、ほとんど、押して歩いての海岸通。右側には打ち寄せる蒼い波が綺麗なのだろうが、見てる余裕すらない。
 「何が何でもコトー先生の診療所を目指すのだ」と、自分に言い聞かせ、15分。あるにはあったが、ビミョーっ。だが、この15分はかなりの高記録らしく、お昼に八重山そば(600円)を食べた食堂の人がビックリしていた。
 続けて、「立神岩まではどのくらい時間かかりあmすか?」と聞いたところ、「自転車ですよねー…」。だが、「行くしか無い」のである。
 再び自転車をこいで、目指すは立神岩。だが、2時間が経過しようとしても林以外、海すら観えやしない。あきらかに「迷った」模様。人っ子一人居ない林の中で、これ以上時間を費やすのは無理と判断し(素晴らしい判断力だが、とにかく自分は道に迷う体質なのである)、今来た道をまた戻る。これだって自転車押しての大苦行。
 追い討ちをかけるかのように大粒の雨(スコール)まで降り出して、正に泣きっ面に蜂状態のわたくし。
 聞く所によると、今さっき走行した道は、与那国マラソンでも一番の難関と言われる過酷な場所で、坂、坂、また坂なのだそうだ。
 ほかの場所へは翌日行くとして、宿に戻ると、「みんな(自転車)借りても、行き切れんで、(自転車を)返しに来るさー」とおばちゃん。えーっ、それ先に言ってよ。
 「だって、コトー先生は自転車で島回ってたよ」。するとおばちゃん、「確かに、コトー先生は自転車だ」と大受けだった。

「二輪二脚の八重山巡り」コトー先生の島与那国へ

2009年12月15日 | 八重山諸島の旅
 小さなJTAに乗って目指す葉与那国。フライと時間も30分ぐらいとあって、飲み物もサービスされない。「そりゃあそうだろう」。が、「皆様のお世話をさせていただきます」とにこやかになスッチーが3人。飲み物も配らないのに、何の世話になるのだろう? 「人件費の節約が会社建て直しなんじゃないのか」と思ったが大きなお世話だろうから黙ってた。
 与那国空港は、ポツンと畑の中にあるようで、タラップを降りたら歩いて空港内に入る素朴な空港。外へ出て全景を観たらまるで公衆トイレのような外観だった(笑)。
 それでもお土産やは3軒ほど入っており、「商売っけはあるもんだ」。
 10時半に到着。ここからは脚が無いので、宿からの送迎がある。もちろん、自分でレンタカーを借りることも可能。宿から迎えに来てくれたおばちゃんの車で1本道を行く。「何もない」。
 おばちゃんが簡単に観光ガイドをしてくれるのだが、個人商店1軒と飲み屋2軒と喫茶店1軒と漁港の紹介で終了。さてさて、宿は民宿なのだが、ドミトリーから3人部屋など、バス、トイレ共同の旧館とホテル形式のバス、トイレ付きの新館があって、いずれも2食付き。自分は、石垣島からの1泊2日ツアーで、往復航空券と宿泊(2食付き)がセットになったもの。旧館よりたった1000円UPで新館に泊まって、2万800円。これ、かなりお得だと思うよ。色々検索したけど、こんなに安いものはほかに無かったもん。航空券だけだって片道1万円くらいするからね。
 そしてこの日は寒いのだった。石垣のホテルに預けたダウンが必要なくらいに。「昨日までは半袖だった」そうだが、強風のため体感温度はかなり低かったのではないだろうか? 台風が近付いているくらいの天気の悪さでもあり、ダイビングは、「寒いから」しなかったくらいなのだから。

「二輪二脚の八重山巡り」インフルマンがやって来た

2009年12月15日 | 八重山諸島の旅
 その日は久し振りに最悪のコンディション。自分でも分からないが吐き気まであり、這々の体で羽田空港に辿り着いたのだ。で、毎日ホームページを見ながら、楽しみにしていた「空弁」を食べる気力もなく、おにぎりを軽く食べて過ごした。
 国内線に乗るのはおよそ10年以上振り。空港と搭乗のあまりの様変わりに目を見張りながらいよいよ搭乗というその時。赤ちゃんを抱いた1人の若いお父さんが目に入った。黒っぽいジャケットに、ダブダブのジーンズ。そして、チェーンの着いたウオレットはいいとしよう。問題は、目深に被ったニットも帽子と大きすぎるマスク。ほとんど目しか出ていないのだが、その露出している肌がいように赤黒いのだ。
 一目で「インフルエンザ」が疑わしいほどの熱っぽさも見て取れる。「えーっ。何、この人」なのだ。絶対に近くの席には成りたくない。と目が話せなくなったその時、空港の窓(窓の所って人が座れるくらいの段差がある)に赤ちゃんを膝に乗せたまま座り、そして、そのまま横に倒れた。幸い赤ちゃんはくの字に曲がったお父さんの腹と脚の間にちょこんとお座り状態。
 更に驚いたのが、それを近くで見ていた奥さん(赤ちゃんよりちょっと大きい子どもを抱いてた)が、見て見ぬ振り。近寄る訳でもなく、声を掛ける訳でもない。子どもを抱いて、立っているだけ。
 「何者だ。この夫婦」。
 すると、倒れた男性の横にいた見知らぬ女性が、係員に通報し、係員が駆け付けてた。
 そこまで見て搭乗してしまったので、その後どうなったかは定かではないが、取り敢えず、搭乗は出来なかった模様。絶対にあれはインフルエンザさ。
 自覚してるから、奥さんも知らんぷりだったんでしょ? 帰省か旅行は知らないが、これだけ巷でインフルエンザの恐ろしさを知らせているのに、こういう自覚の無い人がウィルスをまき散らすんだと思ったね。迷惑だ。
 そして自分はと言えば、離陸後、急速に痛み出した胃。搭乗員に胃薬を貰っても収まらない。ムカつきと痛みと共に着いた那覇空港。ここで石垣島への航空機に乗り継ぐのだが、腹部の傍聴感とは裏腹に、「食べたい」沖縄料理の店舗が…。「沖縄そばが食べたい」。
 だが、さすがにそんな気力もなく、後で食べようと、石垣牛弁当(700円)を購入してしまった。本当はもっと軽い物が欲しかったのだが、時間も遅く、同じ様なものしか売れ残っていなかったため。
 1時間のトランジット後、無事に着いた石垣島。20時を回っていたため、フライトはあるのに、すでに空港から市街へのバスは無い。これがおかしいんだよね。普通空港バスって、フライトに合わせて走るじゃん。なのに、朝と夜はバスが運行していないのだ。
 知っていれば、もっと早い時間のフライトにしたのに。
 仕方なしにタクシーでホテルへと向かった。1晩石垣島に泊まり、翌日は与那国島へと向かう。そして、与那国島で1泊して、またこのホテルへ戻り、そこから、八重山諸島を回ろうという考えで、石垣港まで歩いて5~6分の立地条件に加え、部屋には洗濯乾燥機と電子レンジ、冷蔵庫がある、アパートメント・ホテル。しかも朝食付き。
 これは、探しに探して、辿り着い長期滞在に一番ベストなホテル。もう少し安い値段でウィークリーマンションや、長期滞在パックのホテルも合ったが、アクセスと設備の点で軍配。
 さて、その日はベランダから港を眺め、「やっぱ暖かいや」などと思いながら就寝。