僕のファーストネームは「大介」っていうありふれた名前なんですが、この名前の起源?についての考察。
いつぐらいから、名前としての「大介」がつかわれたのかは知りませんが、大阪の陣で有名な武将・真田幸村の長男が、真田大介幸昌って名前でしたんで、戦国時代~江戸時代初期にはあったんだと思います。
そもそも「介」は、律令制度の官位名で、国々の国衙(こくが)の次官のことを「介」といってたようです。織田信長もわかいころ、「上総介」って(勝手に)称してましたよね。平安時代、国司(たとえば筑前守)には公家が任命されますが、領地には赴任せず、現地の有力者に次官(すけ)を任命して、統治していました。
要するに「介」は、副知事みたいなもんでしょうか?
源頼朝の流人時代、三浦半島に三浦義明っていう地侍がいて、「大介」(おおすけ)と自称してたようです。義明の父も子も単に「三浦介」だったのに、義明だけが60歳をすぎたくらいから「三浦大介」って名乗ってたらしいです。
たぶん自負心が相当につよく、「オレはふつうの介じゃないぞ。大介だぜ!」って気負ってたんでしょうね。
頼朝挙兵の初期のころ、あれやこれやあって、この三浦大介義明の英断で、三浦一族が頼朝に加担したため、頼朝の武運がひらけて、鎌倉幕府が誕生したんです。
その武運にあやかろうと、その後、武士のあいだで、ミドルネーム(幼名)として、「大介」ってつけるようになっていったんじゃないでしょうか?
いつぐらいから、名前としての「大介」がつかわれたのかは知りませんが、大阪の陣で有名な武将・真田幸村の長男が、真田大介幸昌って名前でしたんで、戦国時代~江戸時代初期にはあったんだと思います。
そもそも「介」は、律令制度の官位名で、国々の国衙(こくが)の次官のことを「介」といってたようです。織田信長もわかいころ、「上総介」って(勝手に)称してましたよね。平安時代、国司(たとえば筑前守)には公家が任命されますが、領地には赴任せず、現地の有力者に次官(すけ)を任命して、統治していました。
要するに「介」は、副知事みたいなもんでしょうか?
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たぶん自負心が相当につよく、「オレはふつうの介じゃないぞ。大介だぜ!」って気負ってたんでしょうね。
頼朝挙兵の初期のころ、あれやこれやあって、この三浦大介義明の英断で、三浦一族が頼朝に加担したため、頼朝の武運がひらけて、鎌倉幕府が誕生したんです。
その武運にあやかろうと、その後、武士のあいだで、ミドルネーム(幼名)として、「大介」ってつけるようになっていったんじゃないでしょうか?