内的自己対話-川の畔のささめごと

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科学思想史家としての志筑忠雄(2)― 独創的な異色の天文学者

2023-08-13 04:53:09 | 読游摘録

 吉田光邦の『江戸の科学者』(講談社学術文庫、2021年)の原本は1969年に社会思想社から刊行された『江戸の科学者たち』という半世紀以上前の著作であるから、その後に積み重ねられた研究によって訂正されなければならないところもある。ただ、当時としては、科学者としての志筑忠雄に言及した数少ない著作であり、その時点で志筑がどのように紹介されていたか見ておきたい。
 本書の中で志筑忠雄は「通訳から科学者へ」と題された章に、本木良永(1735‐1794)、馬場貞由(1787‐1822)とともに紹介されている。三人に共通するのは、いずれもオランダ通詞の家柄であったことである。通詞は世襲制で、その家に生れた男子、あるいはその家の養子となった男子は、少年期からオランダ語の習得を始める。三人ともオランダ語には通暁していたわけだが、特に志筑の弟子である馬場貞由は語学の達人としてその名を馳せた。
 本木は、天文及び地理の分野のオランダ書を十一種訳した。天文関係で特に重要なのが、一七七四年に書かれた『天地二球法』である。ちなみに、同年に『解体新書』が刊行されている。本書において本木は天動、地動の二説を紹介した。コペルニクスの地動説が日本に紹介されたのはこのときが初めてである。この説の紹介に本木は苦心を払い、惑星、視差、遠点、近点などの天文学用語はこのとき本木によって創始された。
 本木につづいて天文学を発展させたのが志筑忠雄である。病気がちで家では床に伏していることが多かったという。吉田光邦は、しかし、真に多病であったかを疑い、「むしろ病と称して他人に会うことをさけ、好むオランダ書に眼を通していたようでもある」と推測している。
 志筑はオランダ語学習において文法の重要性に注目し、語学の学習法に一つのスタイルを与えたことで以後の外国語学習に重要な貢献をしている。志筑は他の通詞たちよりもはるかに精確にオランダ語を読むことができたという。門人の馬場貞由はこの志筑の方法を継承・発展させた。
 志筑が訳した天文学書でもっともよく知られているのが『暦象新書』上中下三篇(一七九八~一八〇二)である。原著は、ニュートンと同時代オクスフォード大学の教授だったイギリスの天文学者ジョン・ケールの手になる著作である。そのオランダ語訳を志筑は訳した。原著刊行からおよそ九十年後のことである。
 当時の日本の天文学の知識では原著の理解は非常に困難であったが、志筑はその卓越した語学力と犀利な探究心によってよくこれを理解した。重力、求心力、遠心力、加速など、今日も用いられている物理学の術語は翻訳の過程で志筑によって案出されたものである。単にニュートン力学の基本を明快に述べているだけでなく、訳の中に自分の考えや批評を挿入した。このようにしてニュートン力学の大要が体系的に紹介されたのは志筑の訳書をもって嚆矢とする。
 さらに注目すべきなのは、『暦象新書』の巻末に付録として付けた「混沌分判図説」である。志筑はそこで一種の宇宙起原論を展開した。そのアイデアは、カント・ラプラスの名で知られる星雲起原説とほぼ同様である。両者はほぼ同時代であるが、その間に交渉はなく、志筑は独自にこの起原説に到達したのである。当時、日本の天文学者たちは暦法の研究にばかり熱心で、宇宙創成論に興味を示す者はいなかった。このことは志筑が独創的な異色の天文学者であったことを意味している。