内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

科学思想史家としての志筑忠雄(4)― 通詞を辞してから発揮された本領

2023-08-15 06:29:40 | 読游摘録

 片桐一男氏の『阿蘭陀通詞』(講談社学術文庫、2021年。原本、『江戸時代の通訳官―阿蘭陀通詞の語学と実務』、吉川弘文館、2016年)は、氏の学位論文『阿蘭陀通詞の研究』(吉川弘文館、1985年)に基づいた啓蒙書で、阿蘭陀通詞についての原史料の博捜の上に成り立った実に詳細な記述に満ちた労作である。
 徳川幕府は、オランダ人及びオランダ商館付きのドイツ人など西洋人には日本語の習得を許さなかった。彼らとの意思疎通を一手に担ったのが長崎の「通詞」たちであった(「学術文庫版あとがき」によると、「通詞」はオランダ語の通訳官、「通事」は「唐通事」のことで、中国語の通訳官を指す)。彼らはオランダ語習得に励み、通訳のみならず貿易実務の諸事をこなし、商館長(カピタン)らの面倒をみるなど、八面六臂の活躍で幕府の対オランダ外交を支えた。
 志筑忠雄は、本書最終章「多才で多彩な阿蘭陀通詞たち」のなかで、その総数は万を超すかもしれない阿蘭陀通詞たちの中から、特に活躍が著しかった「二十四名の通詞たち」の一人として三頁余りにわたって紹介されている。
 その紹介から、本ブログのこれまでの記述を補う事項を摘録しておく。
 安永五年(一七七六)十七歳のとき、養父志筑家第七代孫次郎の跡職を継いで稽古通詞に任ぜられた。しかし、翌六年病身を理由に退役、本姓の中野に復して蘭書の読解に打ち込んだ。辞職後、閑居して蘭書に耽っていた様子は、門弟・知友が異口同音に伝えている。つまり、志筑忠雄の本領は、通詞を辞してから発揮されたのである。
 片桐氏によれば、志筑忠雄=中野柳圃(オランダ語文法書の訳者としての名前)が心血を注いで取り組んだ研究分野の著訳書はおよそ次のように類別することができる。
 ① 天文学・物理学の分野
 ② オランダ語学の分野
 ③ 世界地理・歴史の分野
 ④ その他の分野(数学・医学・兵学)
 志筑は、稽古通詞の職を辞してから病没するまでの約三〇年間、蘭書の訳読に励み、天文・物理の学に沈潜、天体・宇宙の構造的理解へと思索を深めた。その間、オランダ語の体系的理解に努め、その語学力を駆使した探究は、オランダ医学書、海外世界の珍奇な動植物から薬物、軍事書にまで及んでいる。
 片桐氏は、「越後屋の長崎における落札業務を行っていた豪商中野家の財力に支えられて成立することのできた」「偉業」だと讃えてその紹介を結んでいる(339頁)。
 この三頁あまりの記述の中で、世界地理・歴史の分野での志筑の貢献についての片桐氏の見解が特に私の注意を引いたので、本文をそのまま引いておく。

 志筑忠雄の生きた一八世紀後半はロシアの南下政策に直面して、幕府はその対応に苦慮し、民間識者も幕府の対外政策に危機感を募らせた。
 対外交渉に直結の地、長崎に在って、志筑忠雄も識者の著作に刺激を受け、ロシア使節の北地来航などに反応して、事態の根源を知り、対処の道を探ろうと努めたことが訳著に読み取れる。海外情報は、オランダ船のもたらす情報と輸入書物に求め、それらによって確論を得たいと思っていたようだ。(338頁)