昨日紹介した吉田光邦の『江戸の科学者』のなかに、江戸時代の数学の主流であった和算の関流の重鎮、藤田定資(1734‐1807)が『精要算法』(1781)において説いた「算数に用の用あり、無用の用あり、無用の無用あり」という算数の三分法への言及が見られる。吉田はこれを、「用の用とは実用性のある数学である。無用の用とは直接的に実用とはならぬが、実用の基礎となるような数学である。そして無用の無用とは、現代でいえば真理のための真理といったものだ。」と説明している。
ここだけを読めば、無用の無用とは、他の何らかの目的のためにではなく、真理それ自体のために真理を探究することと解され、否定的な意味で使われているのではないように思われる。しかし、その直後に、「ただ自分の才能をしめすことを目的として、さまざまの奇妙な問題を扱うことである」と吉田が付け加えているから、定資の『精要算法』ではそのような否定的な意味で使われ、「無用の無用」は批判の対象になっていたことがわかる。
ところが、本書の解説を書いている宇宙物理学者の池内了氏は、「和算で西洋の近代数学の理論を凌駕すらして真理を追究した関孝和」を「無用の無用」の例として挙げている。つまり、定資の『精要算法』の文脈から離れて、「無用の無用」を真理のための真理の探究という積極的な意味で使っている。
『精要算法』の原文の解釈としての当否は今措くとして、「用の用、無用の用、無用の無用」を数学のみに限定することなく、諸学問をそれぞれの目的に応じてこれら三種類のいずれかに分類することは、それぞれの学問の現実世界に対する関係を規定するのに一定の有効性を持っている。
志筑忠雄の場合、この三分類をその学問の発展・深化の三段階に当てはめることができるのではないかというのが私のさしあたりの仮説である。つまり、「用の用」は通詞としての語学の知識に、「無用の用」はオランダ語文法の体系的知識に、「無用の無用」は天文学者として構想した宇宙起原論にそれぞれ対応していると言えないだろうか。もしそう言ってよければ、志筑の学問的探究は、「用の用」から「無用の用」、そして「無用の無用」へと発展、深化したと見ることができる。
この仮説に従うとき、一八〇一年の『鎖国論』は志筑のその他の諸研究との関係においてどのように位置づけられるだろうか。この問いには、吉田光邦以外の三つの著作を参照した上で立ち戻りたい。