『江戸の宇宙論』の第二章第二節「『暦象新書』と無限宇宙論」では、宇宙物理学者である著者によって『暦象新書』の内容が多数の図解を交えて懇切丁寧に解説されている。志筑が採用した科学用語としての日本語を軸にしながら、志筑が天文・宇宙の話題をどのように展開しているかがわかりやすく紹介されている。その中から幾節か摘録しておきたい。
今日の記事では「心遊の術」を取り上げる。この術は、実際に観測できないことや実験によって実証できないことを、心を遊ばせることによって、つまり、あれこれの立場になって想像することによって説明する。人の体は重力によって地上に縛り付けられているが、知覚する心は自由自在に動くことができ、心の想像力によって思いのままに視点が変えられる。これによって天に遊ぶことも可能になる。この「心遊の術」を使うと、視点を地球と太陽との間で交互に移して視ることで、静止した恒星天球を背景に地球の自転や公転運動をすっきり導き出せる。
著者が重要なこととして指摘しているのは、「心遊の術」を使うことで、「ケールの著作に導かれてのこととはいえ、志筑自身が無数の恒星とそれに付属する惑星が存在するという宇宙像に、論理的に、必然的に、到達したということである」。(116頁)
そのことは志筑が次のような難問に逢着していることからわかる。
はるか遠くの恒星天から見るなら、距離が遠過ぎて、そこに惑星があってもその年周運動は検知できないであろう。では、どのようにすれば他の恒星に地球や五星のような惑星が付属していることが証明できるのか。
著者は志筑のこの疑問を次のように高く評価している。
志筑がこのような疑問を持ったのは天文学の見地からも実に先見的であったと言える。というのは、宇宙論に関わりなく、恒星には惑星系が付属していることは今では星形成理論から必然と考えられており、私たちの銀河系内の恒星にいかなる方法で惑星系を見つけ出すかは、天文観測における重要な課題であるからだ。しかし、恒星は遠くにあって惑星は暗過ぎて検出できない。そのため、志筑の疑問は長い間解かれないままであった。時代に先駆ける難問を出すことができた志筑の慧眼の偉大さを称えるべきであろう。(117‐118頁)
志筑の疑問が解かれるのは、約二〇〇年後、一九九五年のことである。恒星の周りを回る惑星は小さいながらも恒星に重力を及ぼしているから、その重力によって恒星の位置はごく小さく揺れる。その極めて小さな星の揺れを捉えることに成功したのである。また、惑星が地球と恒星を結ぶ視線上を動くとき、惑星がほんの少しだけ中心の恒星を隠すから、恒星の明るさがわずかに減少する効果をも捉えることができるようになった。この発見の功績に対して、二〇一九年にノーベル物理学賞が授与された。