池内了氏の『江戸の宇宙論』(集英社新書、2022年)は、最近十五年間に出版された一般書のなかではもっとも詳しい志筑忠雄論である。本書のもう一人の登場人物は山片蟠桃で、三百頁余りの本書の三分の一に相当する約百頁が両者それぞれに割かれている。山片蟠桃論も大変面白いのだか、今回の連載では言及せず、機会を改めて取り上げる。
本書は、第一章「蘭学の時代」、第二章「長崎通詞の宇宙」、第三章「金貸し番頭の宇宙」、終章「歴史の妙」とそれぞれ題された四章から構成されているが、第一章はその題からもわかるように蘭学全般の紹介であり、終章はわずか四頁あまり、本書の簡略なまとめである。終章の後に「日本と世界の認識」のタイトルの下、二つの補論が付されている。その第一補論が志筑忠雄の『鎖国論』についての論考で、第二補論は山片蟠桃の世界認識についての論考である。私の主たる関心は第一補論に向けられている。
そこを読む前に、第二章から私的関心に応じて摘録を行う。
第二章は二つの節に分かれている。第一節は、志筑忠雄の翻訳の仕事の通覧、人物史を通じて見た蘭学受容史、志筑の学問的指向に影響を与えた先達である本木良永の人物と事績の紹介からなる。この節で面白いのは、著者が「はじめに」で、「筆者である私の偏見に満ちたものである」と断っている蘭学受容史である。実際、江戸の蘭学者たちの中央(江戸)中心主義を批判し、特に杉田玄白が長崎通詞たちを不当に低く評価していたことに対する著者の憤りは「杉田玄白の偏見」と題された一節からひしひしと伝わってくる(私は著者の肩を持ちたい)。
第二節は、志筑が時間をかけて翻訳に取り組んだ『暦象新書』についての詳細な解説である。特に志筑が工夫して編み出した日本語の解説に重点が置かれ、地動説から無限宇宙論への展開までが通覧される。さらにカント・ラプラス説に匹敵する太陽系形成論の仮説である「混沌分判図説」が紹介されている。
第一節で特に興味深く思ったのは、志筑忠雄の先達である本木良永が幕府の命を受けて訳した『太陽窮理了解説』(1792~1793年)にまつわる逸話である。本書は、日本で最初に太陽中心説(地動説)を正面から主張する書物であった。この翻訳に本木は命がけで取り組む。「本木良永墓誌銘」には以下のように記されているという。
かつて命を奉じて書を訳す。時これ厳冬、自ら冷水を裸体に注ぎ、素足にて諏訪神廟に詣で、その業の終わるを祈る。人あるいは諌めて曰く、子既に老いたり、なんぞ自ら苦しむるの激しき、君曰く、われ先世より訳を以て公録を食む。蓋しその職を尽くしこれを以て死に至らば、即ちわが分のみと。その勤学刻苦おおむねこの如し。その病の日に当たって、なお蘭書を左右にし、手巻を捨てず。是ゆえに益其神を労するも、毫も自愛するところなくして起たざるに至る。(88頁)