内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「ゆくりなく」はなぜ「思いがけないことに」という意味になるのか調べたら

2024-05-24 23:59:59 | 詩歌逍遥

 その日どんな話題を記事にしようかあらかじめ決めてなく、ただ書き出しの言葉だけが念頭にあるときがある。今日の記事では、「思いがけないことに」と言うかわりに「ゆくりなく」というちょっと古風な言葉を使おうと思っていた。この言葉、なぜだか自分でもよくわからないのだが、多分響きのせいだろうか、お気に入りの言葉の一つだ。ただ、どうして「ゆくりなく」が「思いがけないことに」という意味になるのか気になり、調べだしたら、そっちのほうが面白くなってしまったので、それを今日の話題にする。
 この語は、このブログでもたびたび参照している私の大のお気に入りの辞典『古典基礎語辞典』(角川学芸出版、二〇一一年)に立項してある。その解説によると「副詞ユクユク(他人の気持ちなど構わないでものをするさま)やナリ活用の形容動詞ユクリカ(突然だの意)と同根。ユクは相手の事情や心情を考えずにする意で、リは状態を示し、ナシは程度のはなはだしいさまを表す接尾語。思いがけないことが突然起こるさまの意。」なるほどと得心がいく。
 『古典基礎語辞典』や『全訳読解古語辞典』(三省堂、二〇一七年)が用例として挙げている万葉歌が佳作だ。ただ、この歌、第一句の訓みや歌の解釈がいくつかあって、それがまた面白い。まず岩波文庫版の漢字仮名交じり表記で引用しよう。

ゆくりなく今も見が欲し秋萩のしなひにあるらむ妹が姿を(巻第十・二二八四)

 現代語訳は「偶然にでも今すぐ見たいものだ。秋萩のようにしなやかなだろうあなたの姿を」となっていて、注釈には「初句は、ふとした拍子にの意。原文は「率尓」。[…]約束して逢うのではなく、今すぐ偶然にでも見かけたいという気持ちか。いつも絶えず見ていたいと詠うのが恋歌の常だろうが、ここは、今の今どうあっても見たいという差し迫った心を詠う。」とある。
 ところが、伊藤博の『萬葉集釋注』は岩波文庫版とは違った訓みと解釈を示している。

いささめに 今も見が欲し 秋萩の しなひにあるらむ 妹が姿を

 伊藤はこの歌の意をこうとっている。「ふっと、今すぐにでも見たい気持ちがこみ上げてくる。今頃も秋萩のようにしなやかに振る舞っているあの子の姿は、ああ。」つまり、「今すぐにでも会いたい!」という気持ちが、思いがけず突然にこみ上げてくるという意に取っている。ところが、初句の訓みは「いささめに」としている。この訓みを採用した理由が『釋注』には示されていない。しかし、「いささめに」は万葉の時代から「かりそめに」「いい加減に」の意であり、訳との整合性にやや欠ける。
 私としては、初句の訓みは岩波文庫版の「ゆくりなく」を採り、歌の解釈は伊藤訳に賛意を表したい。素人にはこんな詩歌逍遥のしかたもあってよかろうと、専門家諸氏のご海容を乞う。