「世に棲む老い人」が書かれたのは1987年である。当時中井久夫は53歳。まだ老い人ではない。精神科医として多くの老人患者を診てきたであろうが、我が身のこととして老年を考えるにはまだ早すぎる年齢だ。だからだろうか、老い人を対象として見ている記述が目に付く。もちろん老い人に寄り添って考えようとする姿勢が基本にはあるが。
今後の老人を巡る社会的課題は、老人を脱社会化しないことである。青年の課題が社会への加入であり、その失敗を統合失調症に見ることができ、中年の課題が硬直的ないしは過度の社会化に抗して自分を維持することであって、その失調をうつ病に見ることができるとすれば、老人の課題は社会につながることであり、その挫折を老年期認知症に見ることができるかもしれない。(233頁)
青年や中年の課題とその挫折、それに伴う特定の精神疾患の発症について、このように図式的にまとめることは現代社会ではできないと思う。それに対して、老年期における社会とのつながりの挫折が認知症を引き起こす大きな要因の一つであることは現代においても通用する認識だろう。
では、老人を脱社会化しないためにはどうすればよいのか。老人がなお新たな経験に対して開かれた存在であることを周囲が認めることだと中井は言う。そして、老人がそうであるために周囲がわきまえているべき老人の条件として次の三つを挙げている。
第一には、新しい事物や環境への順応に時間を要することである。逆にいえば、時間をかければできる体験は予想外に多い。実際、PCやスマートフォンを巧みにそして適度に使いこなしている老人は少なくない。それらを味方にできれば、日常生活もより快適になる。生成AIもそうだ。
第二には、同じ意味で、衝撃や疲労からの回復に時間がかかることである。回復しないうちに第二のストレスに曝さないことが重要である。回復時間の長さは個人によるし、年齢だけにはよらないとは思うが。
第三には、老人の価値体系からはどうでもよいことを重視したり、強要しないことである。
この第三の条件が私には今ひとつよくわからない。具体例が挙げられておらず、老人にとってどうでもよいことが何なのかイメージが湧かない。自分がれっきとした老人であるにもかかわらず、である。
「老人は若い時の記憶が鮮明で、最近の記憶が薄い」とさも自明のことのように中井は言うが、私の感想は「はて?」である。人によるのではないかと思うからである。少なくとも私自身に関しては、若い時の記憶が最近の記憶より鮮明だということはない。言い換えると、鮮明か不鮮明かは時の隔たりと必ずしも対応しない。
老人の昔の記憶は社会にとって資産価値があるというのも無条件に言えることだろうか。私たち戦争を知らない世代が、戦争を我が身で経験した世代の体験に謙虚に耳を傾けることの大切さはわかる。しかし、中井が「世に棲む老い人」を書いた1987年と現在とには37年の隔たりがある(奇しくも、この隔たりは前クールで評判になったドラマ『不適切にもほどがある!』の設定とほぼ一致する。単なる偶然ではないかもしれない……)。
その当時の65歳は1922年生まれである。まさに戦争を生きた世代であり、この世代には戦死した若者も戦争の犠牲者も多数いた。現在、戦争体験を語りうるのは、それが幼児体験だったとしても、80歳以上の老人である。成人として戦中を生きた人たちとなればもう百歳前後、あるいはそれ以上である。これからの問題は、戦争体験も原爆体験もない世代がどのようにそれら前世代の体験を語り継ぐかということであり、このような困難を私たちは今まで経験したことがない。
他方、私には自分の若い頃の体験が今後の社会にとって資産価値があるとはまったく思えない。過去が急速に無価値化され、世代間の分断が修復困難なまでに深刻化しているのが現代ではないだろうか。PCもスマホもタブレットがなかった時代のことを孫の世代に語ってそれが何の「役に立つ」のか。
上掲の三つの老人の条件がよく理解されている社会では、「老い人は、多くの別離をこえて、なお新しい経験にひらかれることができる」(234頁)。それはそうかもしれない。だが、次のように言われると、正直、引く。「若い時のかたくなな因果的・体系的思考にかわって、脱構築的なものの見方が優位を占めうる」(同頁)。そもそも若い時に因果的・体系的思考を徹底したことがある人がどれだけいるのか。その徹底性なしに脱構築もあったものではない。これは単に1980年代以降に現れた問題ではなく、近代日本精神史全体を覆う深刻な問題なのかもしれないが。