月曜日から始まって今日が三日目の集中講義は結局すべてオンラインで行うこととなり(受講者二名)、集中講義が行われる予定だったキャンパスに歩いていけるところにマンションを借りたことには何の意味もなくなったし、そもそも今日本にいる必要さえなくなった。それにこの連日の酷暑である。年末年始の一時帰国のときとは事情は異なるが、この夏の帰国もまた、最初からこうなることがわかっていれば避けることができたであろう多大の出費を強いられることとなった。
それを今さら後悔しているわけではない。避けようがなかったのだから。むしろ、お金には代えられない貴重な経験を今しつつあるとさえ言える。27日の記事で話題にしたことだが、今回の集中講義はこれまでにない特別な配慮を必要とし、私にとっては手探り状態でもあるゆえにとても神経を使うのだが、それは、しかし、「腫れ物に触るように」という通俗な表現が想像させるのとはまったく異なる経験なのだ。
詳細を具体的に書くことはできないが、今回の集中講義では、鋭敏すぎるがゆえに深く傷ついてしまった一つの魂の震えにその声を通じて触れている、とでも言えば、いくらかは今の実感を伝えることになるだろうか。
こちらの問いかけに対するか細い声での言葉を選びながらの応答は、問題の核心を的確に捉えていることを示しているばかりでなく、その問題への私がまったく想定していなかったアプローチの可能性さえ示唆してくれている。と同時に、その応答のなかには本人のこれまでの心の苦しみがときに滲み出てきて、それにはどう言葉をかければよいのかとまどいもするのだが、それを包み隠さずに言葉にしてくれているのだからなんとか受け止めていきたいとも思っている。
七日間総計二十二時間半のオンライン授業でできることはかぎられているが、その時間のなかで伝え合い共有できることは確かにあるし、それがこれから先に繋がっていってくれればと願っている。
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