以下に記すことは、Pierre Hadot, N’oublie pas de vivre. Goethe et la tradition des exercices spirituels, Ablin Michel, 2008 を読んでの差し当たりの感想である。この本は、刊行直後に購入、以来、折に触れて読んできた。今回、今月末の講演の準備の一環として読み直した。
本来複雑な問題を単純な二者択一に還元すること自体が非哲学的態度だと人は言うだろう。私もそう思う。にもかかわらず、あえてそのような暴挙を試みてみよう。
哲学的態度には、ラテン語で言えば、memento mori(メメント・モリ)と memento vivere(メメント・ウィウェーレ)とのどちらかしかありえない。両者の間のディアレクティークは、これを認めない。つべこべ言うな、選べ、どちからを。
前者は、古代ローマにまでさかのぼる格言だ。「いつか自分が死ぬことを忘れるな」ということだ。その意味するところは、古代ローマとキリスト教世界とでは同じではない。今は、しかし、そのことは措く。
後者は、「生きることを忘れるな」という意味。いわゆる格言ではない。ゲーテの詩の中の言葉。『マイスター・ヴィルヘルムの修業時代』には、そのドイツ語訳「Gedenke zu leben」が出てくる。
不可避の死を気晴らしによって忘れ、現在の生を楽しめ、ということではない。避けがたい死を差し当たり逃れることに汲々として、今、この瞬間、ここで生きることを忘れていないか。今、この各瞬間に無償で恵まれている命を十全に生きることを忘れていないか。
私は、哲学的態度として、memento vivere を選択する。
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