内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

あるようなないような

2025-03-05 23:59:59 | 雑感

 昨日の午後のことでした。街の中心部で所用を済ませてから、その足で大学に出向きました。15時過ぎにキャンパスに着きました。修士の演習が始まる16時にはまだ少し間があります。せっかくなので、この隙間時間を使って、東洋言語関係の図書館で調べ物をすることにしました。その図書館は演習のある建物のすぐ脇の建物の7階にあります。
 そこまで階段を使って登りました。実は、ここ数日、ジョギングをサボっていて(それに特に理由はなく、ただ、なんか急にわけもなく、何かのために頑張ることがすっかり馬鹿らしくなってしまっただけです)、それでも、毎日自転車あるいは徒歩で片道約4キロの道のりを移動していますから、運動不足というのほどのことはないのですが、これまでかれこれ4年近く毎日平均10キロ走っていたからでしょうね、いわれもなく(いや、あるというべきか)、うしろめたい気持ちになり、それで、エレベーターは、どの建物であれ、何階まであれ、いっさい使わないことにしているので、階段で登ったというだけのことです。
 この図書館、閲覧席は180席ほどあるのに、いつ行っても利用者が数人しかいなくて、とても静かで、つまり、いかにも図書館らしい図書館で、気に入っているのです。これって、すごく勝手な言い分だし、いわゆる経済効率から言ったら、最低だけれど、大学にはこういう場所が必要だと私は思っています。
 いや、大学だけじゃないですよね。喧騒の外界からは想像もつかないような静かな場所が身近にあり、行きたいときはいつでも行けるんだってわかっているだけで、ちょっと大げさに言えば、人生はその分だけ生きやすくなるのではないでしょうか、なんてね。
 と言っておきながらなのですが、実を言いますと、私は、いわゆる図書館派(勉強や研究は図書館で主にする人たちのこと)ではなくて、自宅派(教育および研究に必要な書籍は全部自宅にないと気がすまない人たちのこと)なんですよね。
 でも、今回のようにちょっと中途半端に時間が空いてしまったときに、人気の乏しい静かな場所が確保されているというのは、ほんとうにありがたいことです。
 で、その図書館で調べ物をしようとしたときのことです。目当ての文献が並んでいる書架の前に立ったとき、足元の床に手のひらサイズの黒革手帳が落ちているのに気づきました。
 すぐに、それはK先生が十年来使っている手帳だと気づきました。相変わらずそそっかしいなあ、自宅まで届けてあげるか、と憫笑しながらその手帳を拾い上げたとき、そのつもりはなかったのですが、パッとある頁が開かれ、そこに乱暴な字でなぐり書きされた言葉が目に飛び込んできました。もともと先生はひどい悪筆ですが、それにしてもその悪癖を知っていなければとても解読できないほどの乱筆でした。
 そのようにして書きつけられた言葉そのものは、しかし、あまりにも痛々しく、とてもここに記すわけにはいきません。それに、そんなことはそもそも倫理的に許されることではないことくらいは私もわかっているつもりです。
 ただ、そこから悲痛な叫びが聞こえるような言葉を見てしまった者の感想を婉曲的に言うことが許されるとすれば、先生の人生は、はじめから終わりまで、いや、まだ完全には終わっていないけれど、とどのつまり、「徒手空拳」の一語に尽きるんだなあ、ということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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