今週水曜日の「日本の文明と文化」の最後の授業では、二組のトリオと四組のデュオの発表を聴いた。タイトルはそれぞれ、「日本のポップと死生観」「『君の膵臓をたべたい』と死生観」「映画『おくりびと』の死生観」「喪の作業」「死生の儀式」「心中」であった。
「日本のポップと死生観」のトリオは、神聖かまってちゃんの「Ruru’s Suicide Show」、米津玄師の「Lemon」、Aqua Timez の「ALONES」というそれぞれ別々の歌を取り上げ、歌詞から死生観を読み取るという発表。アイデアは良かったが、もう少し歌詞そのものに即した分析をしてほしかった。
「『君の膵臓をたべたい』と死生観」のデュオは、劇場アニメ版のなかのセリフから桜良の死生観を取り出し、春樹が桜良との交際とその死を経験して死生観が変化していくことに焦点を合わせた発表。言いたいことはわかるのだけれど、日本語発表能力がそれに伴っていない。
「映画『おくりびと』の死生観」は、成績が最優秀の二人の女子学生による発表で、内容も優れており、日本語もしっかりしているのだが、この二人に共通する欠点は、発表でも小論文でも、論点を絞りきれず、冗長に流れやすいこと。
「喪の作業」のデュオの発表は、日本人の死生観という課題テーマから離れてしまっているという大きな欠点があるものの、発表テーマについてよく調べた発表であった点は評価できる。キューブラー・ロスの On Death and Dying(邦訳『死の瞬間―死にゆく人々との対話』)、ジョン・ボウルビィの Attachment and Loss(邦訳『母子関係の理論』全三巻)の要点を紹介した後、「予期悲嘆」にも言及していた。
「死生の儀式」のトリオは、日本の死生の儀式についてよく調べてきた点は評価するけれども、自分たち自身の考察に乏しく、内容的には高く評価できない。
「心中」のデュオも、調べたことを並べただけ。二人の日本語能力からして仕方のない面もあるのだが、テーマを自分たちで選んだという以外は、いわゆる「主体性」のまったくない発表。
全体として、先週の第一回目の発表のほうが概して出来がよかった。
まあ、それはさておき、学生諸君、これで前期の課題はすべて終わりだね。お疲れ様でした。よい年をお迎えください。
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