ある言語の習得初歩段階で必修語彙として提示される言葉の意味は学習者にとってその語意のデフォルトとなってしまう。ところが、その意味がその語にとってもっと基底的な意味であるとはかぎらない。
この問題は、「なつかし」を例として、このブログでもこれまで何度も話題にしてきた。今日の「日本思想史」の授業では、「すき」に即してこの問題を取り上げ直した。
日本語学習のごく初期の段階で、自分の好みを表現する文型として、「私は~が好きです」という文型を習う。ところが、このような意味で「すき」が使われるようになるまでには、『古典基礎語辞典』(角川学芸出版、2011年)によれば、意味変遷過程において、少なくとも二つの前段階を措定する必要がある。
平安初期には好色の意が中心的であり、その後、しだいに性的・本能的な好みから離れて、中世以降は趣味や芸道を対象として心を打ち込む方向に大きく展開した。さらに、風流の事に限らず何事でも強く愛好することに用いられるようになり、やがて一般的な好悪の感情についても用いられるようになった。
今日の授業では、唐木順三の『中世の文学』(1955年)を参照しながら、中世において趣味や芸道に打ち込むという意味での「すき」(この意味で中世では「数奇」という漢字があてられるようになる)がどのような歴史的文脈で登場してきたのかを説明した。
「数奇人」あるいは「数奇者」とは、他の一切を擲って一途にあることに打ち込む人のことである。しかし、このような排他的態度は、単純に本人個人の好みをその起因とするのではなく、生きるために依拠すべき公準の喪失をその時代背景として生まれた。
何かを排他的に「すき」になることで己の実存を自ら救済しようとすること、あるいは救済を願うこと、それが「数奇」であり、そうすることに己の人生を賭けた者が「数奇者」(あるいは「数奇人」)である。
ここまで説明したところで今日の授業は時間となった。
来週は、中世において「数奇」がなぜ「すさび」(荒び・遊び)へと転ぜざるを得なかったかを説明する。
そこから近代的な意味での「好き」に至るまでの道のりはまた遠い。歴史のなかで無数の人々が実際に歩いたその道のりが思想史の基底を成す。その声なき声に謙虚に耳を傾けつつ、そしてそれに真摯に問いかけを繰り返しながら一つの「ストーリー」を「紡ぎ出す」こと、それが「思想史」である。
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