学部・修士で担当している授業は、それらを総合すると、古代から現代までを何らかの仕方でカヴァーするような内容になっている。分野としては、文学・芸術・歴史・思想・宗教が主だが、政治・経済・法学・科学にも説き及ばなくてはならないこともあり、それらについての新しい情報にいつもアンテナを張っていないといけない。
扱う時代が古ければ古いほど、新情報の必要度が下がるかというと必ずしもそうではない。古代史など、新たな発見によってこれまでの通説が覆されることなど珍しくない。最近は、特に歴史の分野全般に渡って、通説がもはや通用しなくなるという傾向が顕著である。それらの新説を追いかけることは面白くもあるが、所詮専門ではないし、一知半解に終りがちだし、いつも追っかけているのはやはり疲れる。
こういう「追っかけ」は一切やめて、自分が研究していることを中心に話したいが、そういうわけにもいかない。ただ、今年度、特に後期は、時系列に沿ってではなく、テーマ別アプローチを取り入れたので、その分自分の関心に引きつけやすかった。そのほうがこちらの話にも熱がこもるというか、やりがいもあるし、学生たちもより集中して聴いてくれる。
この意味でこれまでで一番やりがいがあった講義は、ストラスブールに赴任する直前までの四年間イナルコで担当した「現代思想」であった。内容は、西田幾多郎から始めて大森荘蔵・井筒俊彦までをカヴァーするまさに近現代日本哲学史であった。学部三年の選択科目で何らか内容に興味がある学生たちだけが履修していたから、概してよく聴いてくれたし、毎回必ずいい質問がいくつか出て、それに答えることは私にとってもいい勉強であった。
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