10親鸞上陸の地 居多ヶ浜へ
1207年3月28日、流罪となった親鸞聖人は、
北陸路を歩かれ親不知の断崖絶壁を進み、糸魚川市の東、
木浦から船で居多ヶ浜に上陸されたそうだ。
親鸞35歳のときであった。
居多ヶ浜、コタガハマと読むそうだが小さな展望台からの眺めを見ると、
荒れる日本海よくぞご無事でここまで来られたという思いがして来る。
『親鸞聖人上陸の地』の看板があり、左手の小さな門をくぐると、居多ヶ浜記念堂と八角の見真堂がある。
居多ヶ浜記念堂では地元のおばさんたちが接待のお茶を出してくれた。
「よしな」という山菜の漬物をお茶請けに出してくれた。
美味しいね。
おもしろい名前だったので直ぐに覚えられた、
「みず」「うわばみそう」の別名も、糸魚川では「よしな」。
1207年3月28日、流罪となった親鸞聖人は、
北陸路を歩かれ親不知の断崖絶壁を進み、糸魚川市の東、
木浦から船で居多ヶ浜に上陸されたそうだ。
親鸞35歳のときであった。
居多ヶ浜、コタガハマと読むそうだが小さな展望台からの眺めを見ると、
荒れる日本海よくぞご無事でここまで来られたという思いがして来る。
『親鸞聖人上陸の地』の看板があり、左手の小さな門をくぐると、居多ヶ浜記念堂と八角の見真堂がある。
居多ヶ浜記念堂では地元のおばさんたちが接待のお茶を出してくれた。
「よしな」という山菜の漬物をお茶請けに出してくれた。
美味しいね。
おもしろい名前だったので直ぐに覚えられた、
「みず」「うわばみそう」の別名も、糸魚川では「よしな」。