7. 源義朝ゆかりの野間大坊へ
野間大坊として親しまれている鶴林山大御堂寺へお参りします。
客殿に上げてもらい住職から「義朝最期図」を講談調で絵解きをしてもらいました。
「平治元年(1159)十二月の平治の乱に敗れて落ちのびる源義朝が
ここ野間大坊で長田親子によって忙殺された様子を尾張藩初代藩主徳川義直の命により、狩野探幽が描いた作品です。」
住職さんは、講談師に負けじと語っていただきましたが少々舌がつれていたようです。
よくわかる説明に好感しました。
絵解きの後、本尊の前に移動して般若心経を挙げていただきました。
客殿の天井 柱、ご本尊まで漆黒です。
本堂全体が見事に黒光りしています。
弘法大師がこの地で護摩を焚いて以来の煤でしょう。
長い歴史の一端を垣間見る思いです。
驚いたことに最後に皆さんお手を拝借?
のように、拍掌をしたことです。
お聞きする機会がありませんでしたが、何か意味があるのでしょう。
*密教には,魔を除いて諸仏を歓喜せしめる意で,
3度両手を打つ拍掌(びやくしよう)があるそうです。
野間大坊として親しまれている鶴林山大御堂寺へお参りします。
客殿に上げてもらい住職から「義朝最期図」を講談調で絵解きをしてもらいました。
「平治元年(1159)十二月の平治の乱に敗れて落ちのびる源義朝が
ここ野間大坊で長田親子によって忙殺された様子を尾張藩初代藩主徳川義直の命により、狩野探幽が描いた作品です。」
住職さんは、講談師に負けじと語っていただきましたが少々舌がつれていたようです。
よくわかる説明に好感しました。
絵解きの後、本尊の前に移動して般若心経を挙げていただきました。
客殿の天井 柱、ご本尊まで漆黒です。
本堂全体が見事に黒光りしています。
弘法大師がこの地で護摩を焚いて以来の煤でしょう。
長い歴史の一端を垣間見る思いです。
驚いたことに最後に皆さんお手を拝借?
のように、拍掌をしたことです。
お聞きする機会がありませんでしたが、何か意味があるのでしょう。
*密教には,魔を除いて諸仏を歓喜せしめる意で,
3度両手を打つ拍掌(びやくしよう)があるそうです。
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