赤い太陽にキッス! 

旅日記、旬の花をパチリ!
ランチあちこち、スウィーツ大好きも書きます。
そうそう、 朝一番の太陽にキッスも・・・

31.孤島の野犬像

2017年04月16日 06時14分00秒 | 手つかずの秘島!甑島
31.孤島の野犬像

下甑島を南端から北上しているときバスの車窓に雄々しい犬の像を見ました。
孤島の野犬像です。


この像は説明文によると
児童文学作家・椋鳩十が書かれた「孤島の野犬」が出版され、この本の中には
王者の座、消えた野犬、丘の野犬という三つの作品が収められています。
これらの作品には甑島に棲んでいる野犬が登場します。
島の古老の話をもとにして作品にしたようです。



この感動的な名作が生まれたことを記念してこの像を立てました。
ふるさとガイドの話では
最後隆盛が連れている犬は薩摩犬ですが、先祖は甑山犬と呼ばれる
甑島が原産の日本犬だといわれているそうです。

30.釣掛崎灯台・キリシタン殉教地

2017年04月15日 16時34分27秒 | 手つかずの秘島!甑島
30.釣掛崎灯台・キリシタン殉教地

釣掛崎灯台は、
甑島の最南端に位置しており、1896年当時我が国の領土であった台湾との航路を守るため建設された。


現在は無人灯台ですが、
当時から昭和41年までは灯台守が住んでおり、1日がかりの山越えでの生活用品の調達や通学など
大変な苦労があったそうです。

すぐ近くにキリシタン殉教地の碑が立てられていました。

この釣掛崎でも、禁教時代の厳しい取り締まりの中、キリスト教の信仰は守られていたが、
1638年ごろ信者は捕えられ処刑されたと言われている。


この釣掛崎は名も知れず殉教していった人々が眠っている所です

石碑にはこのように書かれています。

29こしき海洋深層水工場

2017年04月14日 08時18分18秒 | 手つかずの秘島!甑島
29こしき海洋深層水工場

レストランからこしき海洋深層水工場へ向かう途中、
江戸時代海上取り締まりや、異国船監視のために作られた津口番所を車窓から見て、


海岸にある丸石をどでかくした大きな丸い石を道路わきに見つけました。
神花石、霊石と書かれていました。


こしき海洋深層水工場見学ということでしたが、



海洋深層水はこの島から沖合い4キロ、水深375メートルから毎日量400トンの
深層水をくみ上げ精製・殺菌している会社ですから箱詰め工程を見るぐらいでした。
南の島では海洋深層水事業をよく見かけます。



健康志向でいろいろな深層水商品が生まれるようになり事業として成り立つようになってきたのでしょうね。

28.てうちん浜やで昼食

2017年04月14日 06時15分56秒 | 手つかずの秘島!甑島
28.てうちん浜やで昼食

2016年4月 OPENしたばかりの てうちん浜や でランチです。


てうちん --ん--は、方言で、てうちの浜やという意味だそうです。
地元色は良く出ていますが、呼びにくいし覚えづらいですね。


レストランの方は、18名の団体で押しかけましたからてんやわんやでした。
気をきかせて
我々が配膳のお手伝いをしたぐらいです。


見た目は素朴で、少々冷えていましたが、新鮮な魚介類ですから味はそこそこでした。
欲を言えば、魚介のフライでアなく
もう少しワイルドな料理が出してほしいですね。
雑誌社が写真撮影と取材をしていました。

どこかの雑誌のグルメ記事になるのでしょうね

27.下甑郷土館は休館日でした

2017年04月13日 08時07分37秒 | 手つかずの秘島!甑島
27.下甑郷土館は休館日でした

休館日でしたので中にはは入れませんでしたが園内は見学できました。



この敷地は楠木正成の末流楠和田家がこの地に落ち伸びて住みついた歴史的に由緒ある所だそうです。
おまい・なかいの家屋や庭園も復元されているそうです。
庭園の中に移住記念碑が立てられていました。

天明(1784)の大飢饉により、本土の富ヶ尾(現・鹿屋市串良町有里富ヶ尾)
へ集団移住した先人たちの一大有事の史実を後々まで残すために
移住記念碑を建立したそうだ。


26.武家屋敷通り

2017年04月13日 06時15分28秒 | 手つかずの秘島!甑島
26.武家屋敷通り

下甑島にも武家屋敷通りが残されていました。


玉石垣が続く小路をふるさと案内人の松田さんについて歩きます。


中ほどまで歩いてくると真宗大谷派の寺院 大照寺の前に来ました。


真宗大谷派では
見られない仁王様の石像が両脇を守っていました。



明治の廃仏毀釈によって禅宗の寺が取りつぶされたときに残った石像のようです。
その後再び寺院が建てられたが、それが真宗の大照寺だったようです。