当時「学者のアイドル」だった栗本先生を呼んでの回。
まだ世間で栗本さんが有名になる前夜の事。
「教授の所に助教授を呼んで頂いて光栄」と栗本さんに言われて、シャイに恥ずかしがる坂本さん。
初めて会ったのは糸井さんの「へんたいよいこ」集会でのことという。
栗本さん「本来、難しい学問をやっているんですけど、同時に、このところ糸井くんのやっていることとか、ウォークマンとかYMOが売れていることとか、いつも転換期と世の中はいわれるんだけれども、特に今は流れが非常に大きく変わってきているんじゃないか?ということに興味ありましてね。
へんたいよいこ新聞の人たちとか 何なんだろうか?
と思って、それなりの答えを持って、(集会に)行ったんです。」
「もっとも日本は昔から、何でも、10パーセントくらいを越すと一気に80パーセントくらいに浸透する・・TVも、イデオロギーも・・・」
1・ヤナ・クラトビチローバ ノ・ア・コ
栗本さんがチェコのプラハで買ったレコードという。
山下久美子そっくりの声の女の人のヴォーカルの「ロック」のライブ。
何語だか分からないがコトバが英語では無いくらいしか分からんが、若者は熱狂している。
何事も無いロックだが、このロックライブは当時の社会主義国家では数少ない【開放区】だったのだろう。政治が変われば、音楽の位置づけも変わる。
2・アカピグミー 小屋の唄
今度は、教授が好きな民族音楽から。
このライナーノーツを読みながら、2人してその評論家の文を批判。
こう聴きなさい的な文章で、全く、この音楽の背景を語っていないし、感動した内容の説明、技法がどうのこうの言っているが、もっとコトバで伝える努力をして欲しいという。
「音を作らない音楽評論家は、もっとラディカルに追求してほしい。最近、こういうのが不満なんですよ。」と栗本さんは言う。
教授「'60年代後半から、いわゆる現代音楽界というのが、世界で少ない聴衆相手にある訳なんですけど、そういう業界がね。
私も学生の頃は、その卵として属していた訳なんだけど、近代の西洋の手法で、もう音楽が作れなくなってきたのね。
それで新しい音色とか新しい音の原子を、西洋音楽では考えられていなかった新しい観点、表面的な音として採集しにいくんですよね。
いわば植民地主義的に・・。」
栗本「ダメなんじゃないですか。受け取る器が西洋のまま採集に行っても。五線譜に収まらないし。」
こっち側のフレームで事を考えてはいけない、向こうのフレームに合わせないと何も見えてこないと栗本さんはいう。
そこで、詰まっていた教授が言い出す。
教授「じゃあ、思い切って言っちゃうけども。
もう1回、人類が地球共同体になる可能性はない(ありえない)んですか?」
栗本「えっ?僕は無理だと思いますね。ならないと思いますね。これは難しくいうと国家の問題なんですね。
国家というのは何なんだ?と言われてきましたね。
マルクス主義は暴力装置だとか。
私が一番今正しいと思うのは、国家というのは幻想なんです。
我々の心の中にある。
中にあるけれども、これは崩れないんですね。
非常に強いもの、だから崩れないんですね。
近代的な枠組は崩れますよ。近代的な枠は、崩れかけてますね。」
「だから近代的な共同幻想は糸井さんも崩していると思いますし・・・。」
2人の真面目な話は続いた。
3・ハンガリーの民族音楽
栗本さんが持ってきたカセットテープより。
4・エディカンフォ 【写真】
(ブライアン・イーノがプロデュースしたアフリカのバンド)
まだ世間で栗本さんが有名になる前夜の事。
「教授の所に助教授を呼んで頂いて光栄」と栗本さんに言われて、シャイに恥ずかしがる坂本さん。
初めて会ったのは糸井さんの「へんたいよいこ」集会でのことという。
栗本さん「本来、難しい学問をやっているんですけど、同時に、このところ糸井くんのやっていることとか、ウォークマンとかYMOが売れていることとか、いつも転換期と世の中はいわれるんだけれども、特に今は流れが非常に大きく変わってきているんじゃないか?ということに興味ありましてね。
へんたいよいこ新聞の人たちとか 何なんだろうか?
と思って、それなりの答えを持って、(集会に)行ったんです。」
「もっとも日本は昔から、何でも、10パーセントくらいを越すと一気に80パーセントくらいに浸透する・・TVも、イデオロギーも・・・」
1・ヤナ・クラトビチローバ ノ・ア・コ
栗本さんがチェコのプラハで買ったレコードという。
山下久美子そっくりの声の女の人のヴォーカルの「ロック」のライブ。
何語だか分からないがコトバが英語では無いくらいしか分からんが、若者は熱狂している。
何事も無いロックだが、このロックライブは当時の社会主義国家では数少ない【開放区】だったのだろう。政治が変われば、音楽の位置づけも変わる。
2・アカピグミー 小屋の唄
今度は、教授が好きな民族音楽から。
このライナーノーツを読みながら、2人してその評論家の文を批判。
こう聴きなさい的な文章で、全く、この音楽の背景を語っていないし、感動した内容の説明、技法がどうのこうの言っているが、もっとコトバで伝える努力をして欲しいという。
「音を作らない音楽評論家は、もっとラディカルに追求してほしい。最近、こういうのが不満なんですよ。」と栗本さんは言う。
教授「'60年代後半から、いわゆる現代音楽界というのが、世界で少ない聴衆相手にある訳なんですけど、そういう業界がね。
私も学生の頃は、その卵として属していた訳なんだけど、近代の西洋の手法で、もう音楽が作れなくなってきたのね。
それで新しい音色とか新しい音の原子を、西洋音楽では考えられていなかった新しい観点、表面的な音として採集しにいくんですよね。
いわば植民地主義的に・・。」
栗本「ダメなんじゃないですか。受け取る器が西洋のまま採集に行っても。五線譜に収まらないし。」
こっち側のフレームで事を考えてはいけない、向こうのフレームに合わせないと何も見えてこないと栗本さんはいう。
そこで、詰まっていた教授が言い出す。
教授「じゃあ、思い切って言っちゃうけども。
もう1回、人類が地球共同体になる可能性はない(ありえない)んですか?」
栗本「えっ?僕は無理だと思いますね。ならないと思いますね。これは難しくいうと国家の問題なんですね。
国家というのは何なんだ?と言われてきましたね。
マルクス主義は暴力装置だとか。
私が一番今正しいと思うのは、国家というのは幻想なんです。
我々の心の中にある。
中にあるけれども、これは崩れないんですね。
非常に強いもの、だから崩れないんですね。
近代的な枠組は崩れますよ。近代的な枠は、崩れかけてますね。」
「だから近代的な共同幻想は糸井さんも崩していると思いますし・・・。」
2人の真面目な話は続いた。
3・ハンガリーの民族音楽
栗本さんが持ってきたカセットテープより。
4・エディカンフォ 【写真】
(ブライアン・イーノがプロデュースしたアフリカのバンド)