こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

坂本龍一のサウンドストリート 1981年11月10日 ゲスト 栗本慎一郎

2005-11-25 19:32:29 | 坂本龍一のサウンドストリート
当時「学者のアイドル」だった栗本先生を呼んでの回。
まだ世間で栗本さんが有名になる前夜の事。

「教授の所に助教授を呼んで頂いて光栄」と栗本さんに言われて、シャイに恥ずかしがる坂本さん。

初めて会ったのは糸井さんの「へんたいよいこ」集会でのことという。

栗本さん「本来、難しい学問をやっているんですけど、同時に、このところ糸井くんのやっていることとか、ウォークマンとかYMOが売れていることとか、いつも転換期と世の中はいわれるんだけれども、特に今は流れが非常に大きく変わってきているんじゃないか?ということに興味ありましてね。
へんたいよいこ新聞の人たちとか 何なんだろうか?
と思って、それなりの答えを持って、(集会に)行ったんです。」

「もっとも日本は昔から、何でも、10パーセントくらいを越すと一気に80パーセントくらいに浸透する・・TVも、イデオロギーも・・・」

1・ヤナ・クラトビチローバ ノ・ア・コ
栗本さんがチェコのプラハで買ったレコードという。
山下久美子そっくりの声の女の人のヴォーカルの「ロック」のライブ。
何語だか分からないがコトバが英語では無いくらいしか分からんが、若者は熱狂している。
何事も無いロックだが、このロックライブは当時の社会主義国家では数少ない【開放区】だったのだろう。政治が変われば、音楽の位置づけも変わる。

2・アカピグミー 小屋の唄
今度は、教授が好きな民族音楽から。
このライナーノーツを読みながら、2人してその評論家の文を批判。
こう聴きなさい的な文章で、全く、この音楽の背景を語っていないし、感動した内容の説明、技法がどうのこうの言っているが、もっとコトバで伝える努力をして欲しいという。
「音を作らない音楽評論家は、もっとラディカルに追求してほしい。最近、こういうのが不満なんですよ。」と栗本さんは言う。

教授「'60年代後半から、いわゆる現代音楽界というのが、世界で少ない聴衆相手にある訳なんですけど、そういう業界がね。
私も学生の頃は、その卵として属していた訳なんだけど、近代の西洋の手法で、もう音楽が作れなくなってきたのね。
それで新しい音色とか新しい音の原子を、西洋音楽では考えられていなかった新しい観点、表面的な音として採集しにいくんですよね。
いわば植民地主義的に・・。」
栗本「ダメなんじゃないですか。受け取る器が西洋のまま採集に行っても。五線譜に収まらないし。」
こっち側のフレームで事を考えてはいけない、向こうのフレームに合わせないと何も見えてこないと栗本さんはいう。
そこで、詰まっていた教授が言い出す。

教授「じゃあ、思い切って言っちゃうけども。
もう1回、人類が地球共同体になる可能性はない(ありえない)んですか?」
栗本「えっ?僕は無理だと思いますね。ならないと思いますね。これは難しくいうと国家の問題なんですね。
国家というのは何なんだ?と言われてきましたね。
マルクス主義は暴力装置だとか。
私が一番今正しいと思うのは、国家というのは幻想なんです。
我々の心の中にある。
中にあるけれども、これは崩れないんですね。
非常に強いもの、だから崩れないんですね。
近代的な枠組は崩れますよ。近代的な枠は、崩れかけてますね。」
「だから近代的な共同幻想は糸井さんも崩していると思いますし・・・。」

2人の真面目な話は続いた。

3・ハンガリーの民族音楽
栗本さんが持ってきたカセットテープより。

4・エディカンフォ 【写真】
(ブライアン・イーノがプロデュースしたアフリカのバンド)
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11月25日 金曜日 晩秋の休日

2005-11-25 12:05:09 | 雑記帳
仕事を休んだ久々の平日
とりとめもなく綴りたい・・

9:40 目覚める。ラジオをつけっぱなしで、その人生相談が夢にいつのまにか入り込んでいた。
25歳になる、結婚している娘が「30になる前に、子供が出来なかったら、旦那と別れると言っている。どうしたら、いいでしょうか、先生。」などとお母さんが言っている・・。

頭が痛い。
寝た気がせず、疲れている。
この所休みも少なく、毎日、家には夜0時に着くのを繰り返していた。
昨夜もそんな時間に帰り、極めて遅い夕食を摂り、酒を飲んでいた。

今日、金曜日、仕事を休むと決めていたからもあるが、急にとあるB級映画がみたくなり、見ているうちに寝るのが夜中3時半になってしまった。
映画ファンに言ったら「しょーもない」と怒られるB級映画なんだろう。
私は、そういうチープなB級映画が好きだ。
A級は生理的に見れないし、見る気もしない。
映画には、現実には無い、別の時間の流れ方・ペースがあり、その別の時空に逃走し、身を置くことが出来る。
逃走するなんて、映画「紫のカイロ」を思い出すが、それを見たわけでは無い。

仕事場から電話無いかな、と恐れながら、不安を抱きながら、休んだ今日。
そういえば、今日11月25日は、三島由紀夫先生の35回忌の命日だ。

パソコンの中にたまりに溜まってしまった音楽を整理しよう。。。とパソコンに向かい、聴きながら整理し始める。

「Genesis/ABACAB」('81)をCDに焼く。正直、大して聴いていないのだが、データを捨てる訳にもいかず、パソコン内に置いておくモンでも無いだろうと、「とりあえず」と、CDに移す。
 その後、テープから起こした坂本さんのサウンドストリートをCDに焼く。

幼い頃から、所有欲が強いクセして、反面モノの飽和状態から逃げたくなるという、相反するハザマでうろうろして生きてきた気がする。

          *

ラジオ「くにまるワイド午前様」を聞く。普段と違っておだやかに聞こえる。

こうして休みに、1人で静かな部屋にてラジオや音楽を聴いていると、なんでこんなにも静かな気持ちでいられるのだろうと思う。
普段、仕事中の絶え間ない絶望感、焦燥感、鬱に襲われながら生きている自分がここにはいないのだ。
そう思えば、昔はこんな時間もあったよなあ、、。

          *

先日亡くなったHMについて書いた時、「時代のせいに出来るヤツはいいよなあ」と毒を吐かれたが、ニートはともかく、社会に密接に関わらざるを得ない状況にある人間は、みな時代から逃れられないはずだと、私は、思うのである。

「すべてのものは、同時代的であらざるを得ない」(坂本龍一)

時間というのは、絶え間ない均質の棒状に伸びた連続体ではどうやら無いようである。
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