こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

かたちんば駄目ニンゲン徒然日記

2009-05-10 22:30:22 | 音楽帳


カラダの疲れが取れず、仕事に行くはずが、行くことが出来なかった。
ダメニンゲンの日曜日だった。

今日も、何やら、だらだらと清志郎関連の音楽を聴いていた。
タイマーズの「あこがれの北朝鮮」などなど・・・。

19:00~21:30にはTBSラジオの「忌野清志郎リクエストスペシャル~ぼくらの好きなおじさん~」を聴いた。

ナビゲーター2人が、萩原健太さんと山田五郎さんだったので、ただ曲をかけるだけじゃなさそうだし、面白い話を聴けそうだったので、聴いた。

そうすると、今度は、ひどい頭痛になった。
酒を呑みすぎたのもあるが。

22:00頭痛薬を飲み、横になる。

風呂を沸かしたので、今から入る。

***

渋谷陽一さんの清志郎に関する記事を発見した。
渋谷さんらしくなく、動揺が見られた。

「忌野清志郎

何を書いたらいいのか分からない。
書かないままでいようかとも思ったけれど、きっとどんどん何を書いたらいいのか分からなくなる気がして、どんな事でもいいから書く事にした。
正直、覚悟しなければならないのだろうな、とは思っていた。
先日、送られてきたファンクラブの会報に、いつも掲載されている本人の近況とコメントがなく、とても心配になったばかりだった。

今はただ悔しいという思いだけが強くある。
とにかく、いろいろな事が悔しい。
凄くエモーショナルで、センチメンタルな心を持った男だったけれど、同時にハードで前向きな姿勢を常に崩さなかった。
そのファンクラブの会報で、宗教関係の本を送ってくれる人がいるけれど、そうしたものは必要ないので送らないでいい、というコメントを出しているのが、いかにも清志郎らしかった。
何かこうやって書いていると気持ちが落ち着いて来た。
後ろ向きのセンチメンタリズムを清志郎は潔しとしなかった。
俺をネタにセンチになっているんじゃねえよ、と言われてしまわないようにしないと。

前に、同い年の清志郎が闘い続けているので、自分も逃げられない、という原稿を、彼の何周年かの記念ライブのパンフに書いた記憶がある。
清志郎は闘う姿勢を全く変えないまま僕らを残して、この現世のステージから去って行った。
後は残った僕たちが闘いを続けていくだけだ。
ゆっくり休んでもらいたい。
一緒に同じ時代を生きられて幸運だった。             渋谷陽一」                     
コメント
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