すっかり、清志郎の死に動揺させられた昨今だったが、今日は、自分の浪人時代の1985年に戻って・・・。
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ハワード・ジョーンズの1983年「かくれんぼ」に続く2枚目「ドリーム・イントゥ・アクション」が1985年4月に発売された。
1枚目「かくれんぼ」は、テクノ史にも銘記されるアルバムだったが、この2枚目を聞いてわかったのは、彼はテクノ道を行く人間ではなくて、あくまでも「シンガー・ソング・ライター」であって、たまたま、その道具として、エレクトロニクスを用いたのだということ。
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コンピューター、シンセサイザーの音楽を軽い存在にしてしまった、1つのきっかけが、ハワード・ジョーンズの登場だったと思っている。
それは、別に彼が悪いという意味ではなくて、エレクトロニクスを用いた音楽が、世間的に蔓延しだしたということなのだろう。
日本の「歌謡曲」の世界もすぐ、海外のヒット曲をパクるというのを繰り返していたが、この1985年辺りから、あれだけYMOを「無機質で機械的」と批判していた人々も、エレクトロニクスを用いた音楽を耳にする機会が増えていくことになっていく。
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それまで、テクノがつちかっていた世界、「I Want To Be Machine」といったジョン・フォックス、アンドロイドを意図したゲイリー・ニューマン、「We Are The Robots」と言ったクラフトワークなどなど。
そのテクノ世界から微妙に逸脱し始めたのを、この2枚目「ドリーム・イントゥ・アクション」には感じた。
彼は、あくまで「HUMAN’S LIB」というアルバム名にあるように、人間味ある音楽を目指していた。
元々、テクノの人では無かったのだ。
彼が、ライブなどでショルダータイプのシンセサイザーをアコーデオンのように奏でながら歌う姿は、従来のエレクトロニクス音楽の憂鬱に下向きにキーボードに向かうのに逆行して、やけに「明るく」「人間味」あって、エレクトロニクス音楽が、また変容してきたのを感じたものである。