
80年代には優れた「デュオ」バンドが多くありました。
ヤズー、ユーリズミックスに始まり、ティアーズ・フォー・フィアーズ、ロータス・イーターズ、ネイキッド・アイズ、ブラマンジュ、(バックが数人居ましたが)チャイナ・クライシス……。
ショーナ・ダンシングも「デュオ」ですが、残念ながら自分はこの曲しか知りません。
ヴォーカルがワイルドになる部分は、声質がゼイン・グリフに似ていると感じます。
この1983年秋~冬、イギリスのリアルタイムのホカホカに香る新しい曲たちを僕らに届けてくれたのは、写真家でイギリスと日本を往復していたトシ矢嶋さんだった。
毎週火曜日の深夜1~3時に聴いていた「高橋幸宏のオールナイトニッポン」では、トシさんがロンドンから送ってくれる新着レコードに「今週のベスト5」を付けて紹介してくれていた。
ショーナ・ダンシング「ビター・ハート」もそんな中の1曲でした。
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近時、YMO時代を振り返る細野さんや幸宏の話の中で、よくトシ矢嶋さんがロンドンから最新の曲を集めたカセットを定期的に送ってきてくれて、それが自分らに及ぼした影響がとても強かったという話しを聞いて「へぇえ~」と思ったものです。
当時は『洋楽』と呼んでいたように、海の向こう、特に、イギリスの情報がなかなかリアルタイムでは入りにくく、そこには、間を繋ぎ紹介してくれるコーディネーターのような役割のような人が必要でした。
それが、レコード買い付けに行く輸入盤ショップの人だったり、こういった日本・イギリス双方にパイプを持った仕事の方だったり、或いは「"音楽評論家""稼業"(?)の方・・・」だったりしました。
トシさんの紹介してくれる新しい曲、ミュージシャンやロンドンの流行を伝える海外電話での話しを、当時は耳をそばだてて聴いたものでした。
YMOの中期名盤『BGM』『テクノデリック』には、このトシ矢嶋さんのカセットに納められた曲たちが、細野さんや幸宏を大いに刺激していた背景は、YMOファンとしては大事な記録です。
当然、ピーター・バラカンさんも、YMOの海外向けスポークスマンとして、日本と海外の情報受け渡し役・YMOを陰で支えたもう1人の重要人物であった事も付け加えねばならない事実です。
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一方、鈴木慶一・坂本龍一・立花ハジメといった人たちは、輸入レコードショップ『パイドパイパーハウス』の常連で、みんな最先端のレコードを買い、店頭の長門さんが「ハジメちゃん、さっきこのレコード買ってったよ」という話に刺激されて、教授も負けじと同じレコードを買ったりと・・・このお店を巡って、少年同志のような音楽情報収集合戦が繰り広げられていたのも思い出すところです。
教授は、「サウンドストリート」に鈴木慶一&さえ子ちゃん夫婦['83年当時]がゲストに来た時、
「・・・そうやって色々なレコード買うんだけど、どんどん仕事に圧倒的に時間を削られて行って、買ったは良いもののなかなか聴けず、絶望的に溜まる一方なんだよね。
誰それが良いと言っていたというのが発火点にならないと中々聴かないんだよ。」と言っていたのを思い出しました。
【CDをたんまり買いながら、聴ききれない状況は、今の自分がそうです。自分の時間というのは大事ですね。】
