2年目の素浪人の頃、カフカの「変身」のように家族に追い詰められ・精神的に寄る辺無き身で追放されかけた中、精神分裂症的な症状を呈し自殺未遂してから、自分は、已む無くクスリを飲み始めた。
「クスリでココロの絡まりが直ってたまるか」というかたくなな姿勢を持ちながらも、クスリを服用すると、全身のチカラが抜けていくのを感じた。
弛緩剤が投与されていたのだった。
それは、1986年末の事だった。
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こないだ、風邪気味で行った、私が敬意を抱く、仕事場の近くの個人開業医の先生は言う。
先生は内科なのに、熱意あり、精神まですっきりさせる・対話で共に考えながら症状を解決していくという手法を取った、稀なる赤ひげ先生。
『かたちんばさん、いいですか。
日本において精神医学の歴史というのは、かたちんばさんもご存知だと思うけど、隔離したり・座敷牢に押し込んだりという暗い過去を引きずっています。
その背景は、実は今も消えていなんですよ。
僕は、医者という仕事をしながらも、果たして「医者」というのが、生活の糧を得る為の「仕事」なんだろうか・・・?とも思うんです。
うまく言えないんだけど・・・。
主流である西洋医学というのは、クスリを用います。
でも、精神医学においてのクスリというのは、当人の為、というよりも、周囲への迷惑から、周囲からその人の活動性を落として被害を最小限に落とす為に使われるケースが多いんですよ。
だから、かたちんばさんの服用しているクスリも見るとモノにも拠りますが、直すというより活動の枠をせばめる・個人のチカラにフタをするといった具合のものも混じっています。
僕はお互いが向き合い、意思を持ち・対話を通じて、このクスリはこう効くから、こんなバイオリズムの時に使って下さいね、というやりとりあってこそ、クスリは治癒に向けて効果を発揮すると思うんですが・・・(今の医者はクスリだけ出しゃいいんだろという人が多い事を言いたいのだろう)・・・。
かたちんばさんの通う、その順天堂の医師が、良い出会いであるといいですね・・・。』
そう言われた。染み入るようなコトバの数々だった。
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話は脱線したが、1986年末、僕の80年代のリアルタイムの音楽を追いかける生活は終わりを遂げた。
そのとき、MTVに、クラフトワークの「ミュージック・ノン-ストップ」、そしてランDMCの「ウォーク・ディス・ウェイ」という曲が流れていて、偉大なるクラフトワークはともかく、後者の曲に「自分が音楽に熱中した80年代の全ては終わったな・・・」と認識したのを覚えている。
その後、ふらふらになりながら、大学に行く為の受験というより、ただ必死に座席に座っているだけで、部屋の周囲が迫ってくる幻覚と戦いながら、テキトーに回答の紙に書き、休み時間には、その場を去りたい精神を何とか食い止めながら、ほとんど「受験」とは呼べないまま・・・。
全て落ちると思っていたはずが、不思議なもので1校だけ、何かの間違いか?合格通知が来たのである。
それが、東京経済大学であり、そのとき、監督官をしていた人が絵の好きな大学の職員の人で、後に自分の入った美術研究会という倶楽部の顧問で出会うことになるという不思議。
そして、美術研究会の勧誘で初めて会ったのが、MZ師だったのだ。
1987年4月の事だった。
こうして大学の4年間のモラトリアム時代が始まったが、音楽を熱心に聴く事も、音楽雑誌を買う事にも関心が無くなり、ひたすらこもって絵ばかりを描いていた。
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そんな音楽と縁切りをしたかのような中、次第にシーン無き音楽界自体が混迷を深め、接点が持てなくなっていったが、そんなとき、大学2年で私の前に登場したのが、ハブ噛み師匠だった。
ギターをよく美術研究会の部室で引いていた。
不思議な彼とはすぐ友人になり、よくオリジナル・カセットを作ってくれた。
彼自身がギター好きという事もあり、「自分にとって、ザ・スミスは、=ジョニー・マーだ」といい、よくスミスの隠れた名曲等々を入れてくれた。
スミス自体は、1986年にバンドとして崩壊したが、自分は、初期の「What Difference Does It Make ?」「Heaven Knows I'm Miserable Now」「William, It Was Really Nothing」「How Soon Is Now ?」が大好きで、高校生の頃、土曜の深夜・ラジオ日本の『全英TOP20』で知り、休みになるとそれらの曲をイーノと共によく聴いていた・・・・。
3枚目のアルバム「The Queen Is Dead」をリアルタイムで熱心に聴いたのは、唯一タイトル曲の「The Queen Is Dead」だけだった。
このスミス解散後、大学に入ってから、ハブ噛み師匠にカセットをもらい聴いたのが初めてだった。
スミスは、イギリス国内の社会を理解していないと、音楽そのもので語れない側面があるが、彼らが必死にその中で闘っていた事は、音を通して理解出来た。
また、当時、突出していたデレク・ジャーマンのMTVが、そのスミスの訴えの過激さを加速させていた。
http://www.youtube.com/watch?v=Wz5IFl7uCis
大学時代というと、音楽よりも、デレク・ジャーマン、アンドレイ・タルコフスキー(「ノスタルジア」など)、ニーチェの実話を元に描かれた3人での共同生活を映像化した「ルー・サロメ 善悪の彼岸」(時代の女優だったドミニク・サンダが出演)、「ブリキの太鼓」、ジャン=ジャック・ベネックスの「ディーヴァ」、その他ヨーロッパの重苦しい雰囲気・発狂・退廃をテーマにしたものなど、映画や映像作家の創る世界の方に、時間を使っていたと思う。
別段、それが好きとか嫌いとかいうものではなく、ただ大学3年の1989年に昭和天皇が亡くなり、同年東西冷戦崩壊したように「何も無い無味乾燥な時代」の虚無感に包まれ、そういうものを見ていただけのことであるが。