金曜日の夜、東京電力と会うが「想定内」のラチ開かなさ。
次元の低さ。
口が裂けても、核心には触れない社内通達も徹底。
土曜日、実家にみんな集まり、父の日の集いに参加。
雨の中、一番遅い登場。
酒飲み過ぎ、よたって家に戻る。
日曜日、溜まった疲れと虚無感から、暗くした部屋でひたすら寝た。
夕方16:30やっと起きたが、何もかもが虚しく感じる。
アンディ・パートリッジの「テイク・アウェイ」のダブを聴く。

私がXTCを知ったのは、1980年。
教授の『B‐2UNIT』でアンディ・パートリッジがエレクトリック・ギターを電源を入れずに弾く音を聴くに始まる。
■Not the 6 O'Clock News■
『B‐2UNIT』のアルファ・レコード広告に「坂本龍一が今注目しているXTCのアンディ・パートリッジが参加」みたいなセリフに誘われ、引き続いて、雑誌「ぴあ」のFM番組欄でチェックする中発見した、FM東京の夕方のミニ番組での「XTC特集」。
(確かこの夕方の20~30分番組では、Pモデルの特集も聴いた気がする。)

その後すぐに、当時はまだ小さかったVirginレコードの国内盤として「ピック・ラベル」だったかなあ?(不正確)
1500円のシリーズでXTCの国内未発表ものを集めたレコードを、三ノ輪の王電向かいのレコード屋さんで買って聴いた。
このシリーズは、LP盤サイズだが、真ん中にでっかくアーティストの写真が載っていて、国内未発表ものとデザインが売りだった。
当時は手に入れられなかったが、そのシリーズには、後に一期一会するJAPAN、ジョン・フォックス、リーナ・ラヴィッジ、フライング・リザーツなどがあった。
そのミニアルバムでのXTCは、自分に①へんてこりんな感じ②かっこよさ③中学にして既に自分が常傾いていた静かで穏やかな永遠を感じさせる響きの3つのタイプの曲が収まっていた。
①としての「リビング・スルー・アナザー・キューブ」のライブは、今振り返れば、そのへんてこりんと感じさせたものが、パンクなるものだったのだろう。
そのねじれたような音の奇妙さ。
この曲は何度も聴くうちに①→②へと変化していった。
アンディ・パートリッジとの付き合いは『B‐2UNIT』から、このミニアルバムを経由し、XTCのオリジナルアルバムへと繋がってゆく長い長い流れ。
実は、彼の「テイク・アウェイ」を初めて知ったのは、1981年5月の「坂本龍一のサウンドストリート」。
土屋昌巳さんをゲストに、制作途中の「レディオ・ファンタジー」を紹介する回のトップの曲。
ヘッドフォンでFMを緻密にチューニングする「さーっ」というノイズの中から「…ポンポンポンポン」と立ち現れた『フォーガトン・ランゲージ・オブ・ライト』。
頭にガツンと来た。
1981年のサウンドストリートは、毎回そうだったが…。
まさか、あのような濃厚な1回1回の時間の密度が、後にこれ程貴重な時間だったとは、当時は知るよしもなかった。
***
30年後の2011年6月20日 月曜日
私は、今日も「あくまで自分が正しいと思うこと」を吐いたが、それによって孤立感を強める。
たぶん、私は私が嫌いなコトバ=さらりーまん、としては失格者。
この孤立感は、要は「ヤキが回ってきた」のだろう。
21時、仕事場を去り、ビールを独り飲みつつクールダウンして、一拍置くと少し見えて来る。
ダメな人のダメな部分にいくら説教しても、事態は好転しない。
それは、年上も年下も。
そういうのを感じて、接し方を切り替えるが「大人」なのかもしれないなあ…。
ぼんやりとそんなことが浮かぶ。
そんな中、ニュースでは、風見鶏のようにくるくると回るノイジーな人々が映っている。
次元の低さ。
口が裂けても、核心には触れない社内通達も徹底。
土曜日、実家にみんな集まり、父の日の集いに参加。
雨の中、一番遅い登場。
酒飲み過ぎ、よたって家に戻る。
日曜日、溜まった疲れと虚無感から、暗くした部屋でひたすら寝た。
夕方16:30やっと起きたが、何もかもが虚しく感じる。
アンディ・パートリッジの「テイク・アウェイ」のダブを聴く。

私がXTCを知ったのは、1980年。
教授の『B‐2UNIT』でアンディ・パートリッジがエレクトリック・ギターを電源を入れずに弾く音を聴くに始まる。
■Not the 6 O'Clock News■
『B‐2UNIT』のアルファ・レコード広告に「坂本龍一が今注目しているXTCのアンディ・パートリッジが参加」みたいなセリフに誘われ、引き続いて、雑誌「ぴあ」のFM番組欄でチェックする中発見した、FM東京の夕方のミニ番組での「XTC特集」。
(確かこの夕方の20~30分番組では、Pモデルの特集も聴いた気がする。)

その後すぐに、当時はまだ小さかったVirginレコードの国内盤として「ピック・ラベル」だったかなあ?(不正確)
1500円のシリーズでXTCの国内未発表ものを集めたレコードを、三ノ輪の王電向かいのレコード屋さんで買って聴いた。
このシリーズは、LP盤サイズだが、真ん中にでっかくアーティストの写真が載っていて、国内未発表ものとデザインが売りだった。
当時は手に入れられなかったが、そのシリーズには、後に一期一会するJAPAN、ジョン・フォックス、リーナ・ラヴィッジ、フライング・リザーツなどがあった。
そのミニアルバムでのXTCは、自分に①へんてこりんな感じ②かっこよさ③中学にして既に自分が常傾いていた静かで穏やかな永遠を感じさせる響きの3つのタイプの曲が収まっていた。
①としての「リビング・スルー・アナザー・キューブ」のライブは、今振り返れば、そのへんてこりんと感じさせたものが、パンクなるものだったのだろう。
そのねじれたような音の奇妙さ。
この曲は何度も聴くうちに①→②へと変化していった。
アンディ・パートリッジとの付き合いは『B‐2UNIT』から、このミニアルバムを経由し、XTCのオリジナルアルバムへと繋がってゆく長い長い流れ。
実は、彼の「テイク・アウェイ」を初めて知ったのは、1981年5月の「坂本龍一のサウンドストリート」。
土屋昌巳さんをゲストに、制作途中の「レディオ・ファンタジー」を紹介する回のトップの曲。
ヘッドフォンでFMを緻密にチューニングする「さーっ」というノイズの中から「…ポンポンポンポン」と立ち現れた『フォーガトン・ランゲージ・オブ・ライト』。
頭にガツンと来た。
1981年のサウンドストリートは、毎回そうだったが…。
まさか、あのような濃厚な1回1回の時間の密度が、後にこれ程貴重な時間だったとは、当時は知るよしもなかった。
***
30年後の2011年6月20日 月曜日
私は、今日も「あくまで自分が正しいと思うこと」を吐いたが、それによって孤立感を強める。
たぶん、私は私が嫌いなコトバ=さらりーまん、としては失格者。
この孤立感は、要は「ヤキが回ってきた」のだろう。
21時、仕事場を去り、ビールを独り飲みつつクールダウンして、一拍置くと少し見えて来る。
ダメな人のダメな部分にいくら説教しても、事態は好転しない。
それは、年上も年下も。
そういうのを感じて、接し方を切り替えるが「大人」なのかもしれないなあ…。
ぼんやりとそんなことが浮かぶ。
そんな中、ニュースでは、風見鶏のようにくるくると回るノイジーな人々が映っている。