こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年6月6日 月曜日 夜 実り無きブルー・マンデイ

2011-06-06 23:54:51 | 雑記帳
21:41電車に乗る。
いきなり座れる。
月曜日出だしから全身コリコリ人間は、まだ40代だが、腰痛もあり座ってしまう。

今日も首の根っこが痛い。

かつて、大阪の天神橋筋の横丁にある整形外科で、人体骨格の標本で説明され、こう言われたことがあった。

医師『あなたは最近ハヤリの○○症候群だ。
血管は首から鎖骨の下を抜けていく。
その鎖骨が内側に押していて、血管を圧迫して血の流れを止めている。』

かたちんば『で、どうすればいいんですか?』

医師『鎖骨の内側を削り取って、血が流れる手術をしまーす。』

かたちんば『あー、そうですか。』

まるで赤塚不二夫の「天才バカボン」のような会話だが、実話である。

当然、それ以来この整形外科には行かなかった。
今まで、かなり色んな適当な医師に出会った。
同じ症状を他の病院で訴えると、まるで異なる答えが返ってくる。
本当にロクでもない医者というのは多いものである。

聖路加・慶応・順天堂とは比較にならない、危ない目にも今まで会っている。
詳細は、またの機会に。。。。


【・・・・うううっ首コリが痛む。また、星状神経節ブロック注射でもするか。】

***

いやいや、初日からこんな遅くになるつもりは無かった。

周囲が帰らないのに引きずられてしまった。

全く馬鹿馬鹿しい無駄な時間に付き合ってしまった。
くだらない実り無き一日だった。

「仕事なんていくらでも作れる」なる言葉があるが、まさに。

如何にして(月曜日~金曜日)×(9時~5時)で収めるかが能力なる思想に、今夜だけは自分の針は傾いている。

そんなことを言いながらも、電話・メール・FAX・近付いて来る輩・事件勃発に…と掴まって絡め取られる已む無い場面は多々ある。

その最たるものは無駄を自ら生み出す組織内の構造に潜む。
要は、経営次第で下の層の人々が揺らぐだけのこと。

海外企業も、国内で例えればUNIQLOも、時間外に居ると電気消される・能力無しとして配置転換・降格となる思想があるが。
それも、核たる経営思想あってこそ成り立つもの。
国家を経営する政府が揺らぐと、民が迷走するのと同じ。

そういう言い方でいうと、今の日本とは「こんにゃく国家」とも呼べるのかもしれない。

***

22:35帰宅し夕食でやんす。

ニュースは、朝日の飼い犬=古舘が当たり障りの無い空虚な発言を吐き「よしよし、今日も相変わらずだ」と数秒確認後切り、竹内香苗ちゃん&カンニング竹山さんのTBSラジオ「DIG」に切り替える。



今日のテーマは、震災に付け込んだ詐欺。

自分にとっては、これも阪神淡路大震災で見聞済みで、今回の震災直後に書いた通り「想定内」。

かつて実家に住んでいた頃にあった事件を思い出した。

固定電話が鳴る。

お袋さん「はい。」
詐欺師「大変です!
お宅のかたちんばさんが交通事故に遭って重症です!」
お袋さん「ああ~息子ですか。
2階で寝て(-_-)zzzますよ。
ガチャン。」

母は強し。

***

明日は、朝から順天堂に行き、受診に並ばねばならない。

…というのも、月1回順天堂へ定期通院し、予約通り回っていたのだが、2週間前に仕事のせいで予約時間に行けなかったため。

難儀やのお~。
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2011年6月6日 月曜日 HOT VOICE 細野さんの「まったくアレなのよ」

2011-06-06 18:03:12 | 想い出かたちんば
高校当時、まだ朝日新聞が朝鮮人と中国人向けの反日新聞だとは知らない頃。

夕刊で毎週月曜日「HOT VOICE」という面白いページがあった。



それは、まるでビックリハウスや宝島に影響を受けたかのような、サブカルチャー的なページで、親の目を毎週盗んでは、古新聞が縛られる前に、このページだけを保存し・・・2011年の今も何とかこのゴミ屋敷に保存されている。
今では、約30年を経たおかげで、日焼けしてしまいオレンジがかった紙になってしまっているが、大事な切り抜き。

1982年~1983年の頃面白い時期を経て、次第に構成方針が変わったのか?
つまらなくなり、急に内容構成が変わってしまい、いつの間にか読まなくなった。。。。

***

その「HOT VOICE」に一時期、細野さんが毎週そのとき聴いているレコードを紹介する「まったくアレなのよ」というコーナーがあって、大いに刺激を受けた。

1982年10月18日版に、「拡大版 細野晴臣のまったくアレなのよ」があった。



細野さんのレーベル「ミディアム・レーベル」から出たインテリアのファースト・アルバムが掲載されている。
インテリアは、その後、インテリアズと名称を変えて、ウィンダム・ヒルに移籍してしまったが。



下記は、1982年6月21日の「まったくアレなのよ」。
この1982年初めから、日本のサブカルチャー人の関心を惹き、当時「流行った」ペンギン・カフェ・オーケストラが紹介されている。



教授のサウンド・ストリートでもかかった。
当時、相当な仕事を抱えていた細野さん。
仕事場を離れると、疲労困憊状態で、イーノのアンビエントをかけていた。
ペンギン・カフェ・オーケストラもブライアン・イーノのプロデュース。
確かこの年、ペンギン・カフェは日本に来日したんだっけ。
このときのライブ・テープが家のどこかにあるはずなのだが・・・。
いやいや、捜索には難儀である。

絶望や疲労困憊の東京に、ペンギン・カフェの音楽はゆる~いリラックスの風を運んでくれたのだった。


今日は、1982年前半によく聴いていた彼らの2枚目のアルバムから「エール・ア・ダーセ」をかける。

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2011年6月6日 月曜日 朝 ブルー・マンデイ

2011-06-06 08:41:00 | 雑記帳
昨日のことである。

前髪の薄い我輩。
短髪から最近伸びはじめたせいで、寝起きの髪のハネ具合や風が吹くたびに風になびく前髪が非常にむずむずとジャマで負担だった。

陽の落ち灯の燈る頃、ひとあし伸ばして曳舟へ。
キレイなヨーカ堂の中にある散髪屋へ。

兄さん「さて、今日はどんな具合に?」

自分「ジャマだから全体に9ミリのバリカン入れたあと、後ろばかり伸びるので後ろだけ、さらに6ミリのバリカン入れて。」

兄さん「ヒゲは仕事場では許されているんですか?」

自分「許すかどうかやってみる。
最初は遠巻きにするが、黙ってひたすら伸ばす。
そうすると周囲が麻痺し始めるよ。
そうしたらしめたもんだね。」

兄さん「勇気あるというか先駆者ですね。」

自分「姑息な連中は、自分がヒゲにし出した後、真似し始める。
独りじゃ勇気の無いへたればっかりだよ。」

夜、見事ツルツルになった頭は、触角の一部と化し、外気の流れが分かるようになる。


【黒いだけマシ、我輩の毛はこれよりも更に短い】

***

21:00~22:00NHKは三ヶ月経ってから3・11後初動の遅れた福島原発の生々しいルポ。
幾度にも渡る水素爆発を止められなかった裏舞台。
しかし、その裏舞台を見せず大本営発表に徹したNHKも自分には同罪。

***

22:00~22:30五月に放映した、科学者による放射能汚染地図作成番組の続報。

22:30~23:30荒俣宏さんが出て、文明進歩が自らの墓穴を掘る結果となった3・11と、宗教学者の山折先生などに会いつつ、この暗黒時代の訪れの向こうに光明を見い出そうとする。

今夜も2:30学んだ上、寝床に入り、黙って考えに浸った。

最近、本をめくりながら、細野さんもたけしさんも荒俣宏さんも、昭和22年・1947年の生まれと知った。

三人三様だが、みんな努力家で博学、それぞれが自分の拠って立つ大地を持ち、それぞれにしかない道を持っている点では一緒。

それぞれにお世話になりながら、彼らが今をどう捉え今後どうしていくのかに、後輩は興味がある。

***

7:30起き、目玉焼きと大根の味噌汁。
緑茶とタバコをやりながら、細野さんの新作を流す。
攻撃性も騒がしさも無く。
朝力の無い我輩には、すっと入って来る。

晴天。
今日は暑くなりそうだ。
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