1982年4月、いろいろあったが。。。結果、「文武両道」という園長直筆の色紙をもらい、最右翼に位置する巣鴨学園に入り、女1人校内に居ない荒涼としたアウシュビッツ的な男子校の高校生活に入っていった。
自分は、ここから更に挫折し始める。
元々病弱だったのに、厳しい体力を要求される幾多の体育と催事と言う名の拷問、更に自ら進んで入った排球部(バレーボール)とボロボロのカラダで日々過ごしていた。
三島由紀夫のように、強靭なる肉体を渇望していたやるせない日々。
一方、1982年には、細野さんと幸宏がYENレーベルを立ち上げ、教授はB-2UNITSというユニットで室内のライヴを行い、ニュー・ウェイヴは豊穣たる音楽の海を広げていた。
4月・5月・6月と様々な新譜が、夏前にして国内発売されエア・チェックに、レコードを買いに・・・音楽面では充実の限り、というより自分の24時間ではカバーできない容量に達していた。
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B-52'sの3枚目のアルバム「メソポタミア」はプロデューサーがトーキングヘッズのデヴィッド・バーンということで話題となった。
A・B面共に曲数も少なく、ミニ・アルバムの感じもある。
評論家はボロクソ叩いたが、私自身はこのアルバムをこの4~6月の頃、よく聴いた。
一番「これっ!」という曲は『ディープ・スリープ』。
実に渋い。
当時、やはりアンテナの鋭いスネークマン・ショーのプロデューサー=桑原茂一さんも、この曲を自分の仕事に使っていた。
梅雨で湿気も多く、少しづつ温度も夏に向かって高くなっていく、うだる夜の中で、この曲を何度も当時聴いた。