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こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年6月25日 土曜日 夜 夏のフェイバリッツ・2 Grace Jones「Libertango」'82.3

2011-06-25 23:55:34 | 音楽帳
1982年3月に受験から開放され、管理主義で野蛮な麹町中学校にオサラバして中学生活を終え、4月から文武両道の巣鴨学園の生活に入っていった。

1981年が、ウルトラヴォックスを中心としたヴィサージ・スパンダーバレエ・ランドスケイプ・デュランデュランなどを産み出し、幸宏の名盤「ロマン神経症」・一風堂の「レディオ・ファンタジー」を産み出したニュー・ロマンティクス・ムーヴメントの年だったとすれば、1982年は、その後に立ち現れたファンンカラティーナ・ムーヴメントが多くの新しい音楽体験の風を自分に運んでくれた。



ジャマイカ生まれのアイランド・レコード、アイランド・レーベルの国内発売権を持ったポリスター・レコードが、1982年3月25日にここ数年のレコードを各2,000円の各安値で一斉に「アイランド・エクスプロージョン2000」というシリーズで発売した。

そのことに拠って、過去のグレイス・ジョーンズ、ウルトラヴォックス、ロバート・パーマー、マリアンヌ・フェイスフル、B-52’S等々の音楽と出会う。

これが、バハマはナッソーにあるコンパスポイント・スタジオという楽園での音との出会い、細野さんのトロピカル三部作を通過した経過の中で、自分の楽園志向の「微熱」が再度胎内に発生してしまい、1982年レゲエ、ダブ、ラテン、ハイチ、ファンカラティーナへの憧憬へと傾いていく。



2011年の夏のフェイバリッツのその2として紹介するのは、そんな南の風の中でよく聴いたグレイス・ジョーンズのアルバム「ナイトクラビング」に収まった「リバータンゴ」。



アコーディオンと言いヨーロッパはおフランス的でありながら、南洋の匂いと相まったミックス。
これを聴けば、1989年に「ワールド・ミュージック」と言い出したものが、如何に音楽業界活性化のための単なる一大キャンペーンに過ぎなかったかがよくお分かりになって頂けると思う。
何も、この曲のような世界の音楽のミックスなど70年代から連綿と続いていのである。
こういう音楽を聴いてきた自分には「ワールド・ミュージック」というコトバは実にうさん臭かった。

***

このアルバム「ナイトクラビング」もバハマはナッソーにあるコンパスポイント・スタジオで録音されている。
プロデューサーは、アイランド・レコードの会長だったクリス・ブラックウェルとアレックス・サドキン。

アレックス・サドキンは、この後の80年代で躍進したトンプソン・ツインズの有名なプロデューサー。
と言えば「ああ、そういうこと」と合点が行く、アイランド・レーベルのパラダイス志向の音。

またスライ&ロビーのスライ・ダンバーも参加。
多くのレゲエ・ミュージシャンがバックを固める。



この後、1983年暮れに、明らかに教授の「B-2UNIT」をパクったジ・アート・オブ・ノイズが、このアイランド・レコードから出てくるが、元はバグルスもアイランド・レコード所属。



その首謀者トレヴァー・ホーンが、80年代中盤の音楽界を席巻することとなるだが、このときにはそんなことは知るよしも無い。

トレヴァー・ホーンが、このグレイス・ジョーンズをプロデュースして、恐ろしく美しい奥行きのある音を産み出すこととなるが、それはまた今度の物語。

***

さくりんさんへ

失敗です。
金曜の晩に好い気になって、ビールをたんまり呑んで音楽を聴いていたら、朝の6時まで行ってしまいました。
反省です。

お蔭で16時間睡眠し、夜は22時に起き、スーパーに買出しに行き、今、やっとパソコンに向かっています。

今夜は、先ほど外に出て驚いたのが、昨夜の熱帯夜と一転したなんて涼しい風の吹く夜。
まるで外気がクーラーのようで、窓を開けはなちました。

ネコのママさんも、今夜は過ごしやすいでしょうね。

***

新薬の話、とても現場に居ないとわからない実話は怖いものです。

「症状の、ある部分にはまったく作用しないので、効果より悪化が目立つ」
医者が「お薬変わりました~」一言で済ます。

製薬会社と病院の癒着は誰でも分かる話ではあるものの、相当カネが動いているんでしょうね。

私も、とある有名なとある製薬会社の物件の内装の仕事をしましたが、まあそんな大きい建物が建つくらいカネが流れているということでしょうね。

しかし、とはいえ、大きな名だたる病院の医者と言うのは、やはり凄いとは思っています。
うちの家系は代々コレステロールが異常値で、当の私もそうですが、兄貴が無理矢理、病院嫌いのお袋さんをそのコレステロールを低くするために、慶応病院に通わせていましたが、その担当医の先生が熱心で「おかしい・・・おかしい・・・」と様々な検査をする。
お袋本人は、極楽とんぼなので「先生、もういいっすよ」という中、調べていくうちに、胃がんを発見するに至る。
あのとき、町医者に掛かっていたら、単純にコレステロールの薬出されて、今頃死んでいたでしょうね。

しかし、それも10年前のこと。
今でも80歳のお袋さんは元気そのもの。
その一方で、がんを発見してくれた先生の方が、若くして先に亡くなってしまった。
なんとも言えない。

***

『かたちんばさんにお会いする日がもしあるならば、コーヒーを飲んでいただきたいと「死までの生」の中で思うひとつです。
(ご一緒にジャニスでもくもくと探し物、というのも思いつきましたが、音楽や本を探すというのは独自の世界観がありますから。)』

是非、コーヒーを頂きたいと思います。
毎年、アイスコーヒーをカラカラと音をさせて飲むたびに「夏が来たんだなあ」という季節感を感じます。
ボクの中では、もう夏が来ています。
放射能のことをすっかり忘れて。。。
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2011年6月25日 土曜日 夏のフェイバリッツ・1 細野晴臣「蝶々-San」'76

2011-06-25 04:26:46 | 音楽帳
本日(24日 金曜日)も暑かった。


【本日のサービス・ショット、シャラポワ。
モデルでもあるものの、とてもテニスのプロ・プレイヤーとは思えない。
しかし、こんな無防備に海にくりだせば、更に放射能を浴びる。】

木曜日の夜は、早く布団に入り、弱のせんぷうきを付けて、TBSラジオ「DIG」を聴いていた。
本当は疲れが溜まっているので、早く寝ねばいけないのだが、睡眠薬を飲んでも不思議と眠りに落ちなかった。

途中から「今夜は眠れないのだ」と開き直った。
熱帯夜である。

私個人の感覚で、今週梅雨は明けずとも、夏は始まった。
毎年の「夏のフェイバリッツ」の切り出しは、やっぱり『熱帯夜』だろうなあ・・。
そう想いながら。

多分、暗闇の中、3時頃、やっと眠りに落ちた。

あっという間に朝が来た。

***

汗をかきかき最後の1日を働く。
昼に多めに食事をしたら余計に調子悪くなった。

やっと、仕事の節目を付けたのが21:30.
帰り道、ビールとつまみを買って帰る。



家に着くと汗が止まらない。
「裸族」の季節だ。

夏は、パンツ1枚で過ごすに限る。
「ワールドハピネス2010」でもらった貴重なうちわをあおぎ、汗をタオルでふきふき、CDをまさぐる。



ご褒美に、夏の到来に、細野さんのトロピカル三部作を聴こうと思うが、ゴミ屋敷ではCDすら遭難してなかなか見つからない。

という訳で、最初に見つかった「泰安洋行」(1976)を聴きながら缶ビールをぐびぐび呑む。



「すごく自由である」ことを、改めて「泰安洋行」に感じる。
常に異端児扱いだった細野さんが開き直って、創ったトロピカル三部作。

本当の自由を感じる。
今年の夏は、「蝶々-San」で開ける事となる。



極楽極楽。
日本という国で異端児扱いだった細野さんの視線は、もう日本を捨てて、心は南洋に行っていた。
「泰安洋行」の3曲目「サヨナラ ザ・ジャパニーズ・フェアウェル・ソング」。

こんな日本とはおさらばだ。
そういう、自分がどこに居れば良いのだろうか?という居心地の悪さを覚えながら、ここでも、細野さんは、国外に出たいという願望が素直に出ていた。

***

今夜も熱帯夜。
缶ビールも4本目に突入した。

間もなく夜は明けるだろうが、知ったことじゃない。

コメント
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