■坂本龍一 「Futique」(アルバム『ビューティー』)1989■
■坂本龍一 「Futique」(アルバム『ビューティー』)1989■
■ビートルズ 「ヒア・カムズ・ザ・サン」■
グローバルなんたらかんたら・・・などというコトバを、そのへんの凡人や(さら)りーまんがクチにすることはなくなった。
いっとき流行った「グローバル」というコトバ。
グローブは地球を意味するが、グローバルは「グローバル社会」と、たいてい「社会」が後ろに付いて使われる。
昔「バブル」というコトバをうれしそうに平気で使う者の、馬鹿ヅラを思い出す。
グローバルは、地球的とは間逆の意味合いであって、帝国主義に近い。
それを平気でクチにする人を、こいつはその中の奴隷として巻き込まれていくのに、ようようと語る様に「馬鹿なヤツだなあ」と思った。
IT革命は、いっときヒトに役立つと思ったが、むしろ、ヒトの言行を全て取り締まり束縛する世界。
電車の中で、宗教に洗脳され・とりつかれたように、アイ・パッドやスマートフォンに熱中するヒトしか居ない情景を日々見つつ。
今週は、その外側・産業革命時のような工場(こうば)の中で、作業に没頭していた。例年3月繁忙期の地獄でもあるが。
今朝も7時半に起きたが、その影響で、眼に激痛が続き、焦点が絞れない。
それは、最近始まった視点のかすみ(老眼の始まりか?)。
それに加えて、ここ1ヶ月の頚椎ヘルニアマンによる、首の激痛。
最低量の鎮痛剤で散らし、ごまかしながら。
グローバルとは言うが、それと反対側世界はなかなか語られない。しかし、極めて狭い世界に、もう1つの世界がある。
島の路地、草花や虫やネコさんたちとの距離感に、テリトリーの宇宙があって、それを眺める。
未だにそんな世界をぼうっと見ているのが好きである。
いくらグローバルなる用語があっても、身近な島の、もっとズームアップした顕微鏡的世界の宇宙の方が、はるかに魅力的だ。
音楽を、世間が与えたカテゴリーで語るヒトは多いが、自分はそうはなれない。
アンビエントは、われわれが発見した、社会側に属さない豊穣なる大地である。
これが四月の魚さんへの、自分なりの答えです。
「Here Comes The Sun」
ココにこそ、陽は降り注ぐ。