
僕はもう、この十年来、たいがい一人で住んでいる。
東京のあの街やこの街にも一人で住み、京都でも、茨城県の取手という小さい町でも、小田原でも、一人で住んでいた。ところが、家というものは(部屋でもいいが)たった一人で住んでいても、いつも悔いがつきまとう。
しばらく家をあけ、外で酒を飲んだり女に戯れたり、時には、ただ何もない旅先から帰ってきたりする。すると、必ず悔いがある。
叱る母もいないし、怒る女房も子供もない。隣の人にあいさつすることすら、いらない生活なのである。
それでいて、家へ帰る、という時には、いつも変な悲しさと、うしろめたさから逃げることができない。
帰る途中、友達のところへ寄る。そこでは、いっこうに、悲しさや、うしろめたさが、ないのである。そうして、平々凡々と四五人の友達の所をわたり、家へ戻る。
すると、やっぱり、悲しさ、うしろめたさが生れてくる。
「帰る」ということは、不思議な魔物だ。「帰ら」なければ、悔いも悲しさもないのである。「帰る」以上、女房も子供も、母もなくとも、どうしても、悔いや悲しさから逃げることができないのだ。
帰るということの中には、必ず、ふりかえる魔物がいる。
この悔いや悲しさから逃れるためには、要するに、帰らなければいいのである。
そうして、いつも、前進すればいい。
[坂口安吾 「日本文化私観」より] ※改行・スペースは原文と異なる
つねに歩くことに希望を見い出すじぶんの今を照射する。

とある日。
不意に安吾の言葉に出くわし、そのコトバに、ぴったりと、眼が醒めるような想いがした。心に響いて仕方がない。(それは上の文ではない。)
安吾のそのコトバが忘れられず、うずうずした日々を過ごし、その末、ムズムズは歩く日々のとある時に、足を神保町・古本屋街にじぶんをいざなった。
何度か出向き、何周かブーンブーンと脳は旋回し・古本屋をいくつも巡ったが、なかなか安吾の本にブチ当たらない。
多くの作家たちと過去すれ違い、擦過してきたなか、安吾は1つのブラックホールだった。
この歳になるまで安吾の実体も知らずに来た。
愛する麻生久美子の初出演映画「カンゾー先生」を有楽町で観て、出演者の舞台あいさつに手を叩いても、原作者の坂口安吾には思いが至らなかった過去。
この休みにいくつかの文章を集めた「堕落論」を買った。そして読んでいる。
「堕落論」には集めたものが異なる、いくつもの本が存在する。じぶんが手に入れたのは1990年集英社文庫。
これは大仰な比喩ではなく、安吾に惹かれた理由。
まるで「今・ここ」に居るかのように、言葉に肉体を宿している点。今、じぶんに語り掛けているように思えて仕方がない。
それを友人MZ師に言うと、太宰治との対談等でも、いかに言葉が肉体を持つかを安吾は訴えていたと聞く。太宰というコインの裏側であった三島由紀夫を想い出す。
産まれたスタートラインで、感性よりもすでに言葉や概念に虫喰われたビハインドから始まった三島さんのこと。

坂口安吾に出会えなかったのは、文学少年に始まった絶縁した兄の部屋から盗み読むことがかなわなかったことが大きい。そのかたわら、もう一人の文学少年(出会ったときには青年)であった友人MZ師からは、話のすきますきまに安吾の話しが出てきた。しかし、じぶんは立ち読みした安吾の文章そのものよりも、彼の語り口のほうが魅力的だった。
「わたしは海を抱きしめていたい」というセリフ。
その表現がいかに素晴らしいかを熱心に語る彼。
お前は、いったい誰に向けてこんな馬鹿な作業を続けているんだ?
ブログに対して、そういったことは、内外問わず言われてきた。
そういうなか、よくじぶんの頭には寺山修司さんの言葉が浮かぶ。
じぶんは何かを求めていろんな本を読み漁ったが、そこに回答を得られなかった。
そこに見つけたのは、彼らの悪戦苦闘のキズ跡のみである。
そんな意味のくだり。
馬鹿丸出しやウソ八百も含めたじぶんという流体の、不可思議な存在の在り処。
***
最近逃げきれず通い始めた歯医者。
じぶんより年上の女院長兼実務担当者。
その手際よさと信頼感に、がんばってちゃんと前向きに歯を治そう。
つねにネガティヴに傾くじぶんなのに、そう思うくらいの感情が珍しく産まれる。
今日、会計を済ませる中、最後の患者ということもあったのだろうが、施術を終えてため息をついたじぶんを笑う先生。雑談を向けられる。
先生も実家が下町だという。そこから話は花開き、愛する街を熱く語ることとなる。
そんなことは思いもしなかった。あそこのカドを曲がって・・・はいはい。そんな具合に。また新しい知り合いに感謝。
カメ。それは、じぶんが小学生の卒業文集で、じぶんを例えて書いたコトバである。
それを当時の鬼畜親父に揶揄され、親族が集まるたびに言われた笑い話。
それから三十数年。イイ歳こいてこんなバカとは言われても、それでも今を生きる。
じぶんがじぶんを見捨てたらそこでジ・エンド。
宗教も主義的主義もモラルもイデオロギーもその人を救いはしない。
じぶんが持つ大事な永山則夫さんの本と言葉を引っ張り出してくる。
「独りで誕まれて来たのであり、とある日独りで死んで逝くのだ」
これは万人共通、唯一の現実である。
ならだ、だ。一生懸命生きるだけである。
たやすく使われる「一生懸命」や「がんばる」を嫌うじぶんは、今こそこの言葉を使いたい。
■エルビス・コステロ&ダリル・ホール 「オンリー・フレーム・イン・タウン」1984■
コステロを聴きながら、駅フォームで電車を待っていたら、気付かぬうちに踊っていたようだ。
向かい電車内から2人の女同志が凝視していた。
踊るといったってスイングだけど、見られてはじめてカラダを動かしてる自分に気付いた。
今、一番自由でしあわせなのかもしれない。過去もそう言った瞬間はあるだろう。
