昨日・月曜日週初め。
17日の土曜日、幸宏(とX)のライヴを聴いてからたった2日後。急ぐじぶんは、月曜もライヴへ向かった。
Hall&Oatesイン武道館。
終わってから、異なる席で聴いていた兄夫婦とおち合い、三人でお酒を飲んだ。
H&Oは1時間40分の間、2回アンコールに答える「カタチ」で納め終えた。
この日がWOWOW生中継ライヴだったという事で、それを想定した演出と流れに、会場はにぎわう。
ぼくは、好きな曲が掛かるというのに、そのライヴが進むと共に次第に醒めていった。
同時代を共に過ごした偉大なるアーチストへの敬意は当然ある。
ぼく自身にとっては、決してノスタルジーではない音。
ぼく自身にとっては、みうらじゅんさんがよく言う「キープ・オン・・・」と指す音。
未だ「リアルタイム」であり「トゥデイ」である音。
彼らの音楽に励まされチカラを貰う場面は、約35年の間に多々あった。
近いところでは、2年前の今ごろ、親を入院させるさなかに聴いた「マリーゴールド・スカイ」。
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集まった人の層は、ボズ・スキャッグス同様、年齢は高い。
じじばばが集まってやがる・・・そのセリフはここ最近のライヴで、座った席の周囲から聴こえる嫌な言葉だが、当たっている。だから何なんだ、という歯向かいもある。
「マンイーター」に始まり、過去のヒットチューンを繰り出すステージ。
個人的に大好きなジョン・オーツの「ふられた気持ち」が聴けたことは、まずは何よりうれしかった。しかし、ダリル・ホールがまったく声が出ない。それはある程度織り込み済みだったが、現実に出会うとショックだったりもした。
大にぎわいの中、どうしても音の中に入っていけず、H&Oとじぶんの間に膜が張ったような状態。一方みんなは、大枚はたいて来たからにはノらなきゃ損、というモード。
娯楽的ショーとしてのステージ。
ライヴはそういうものと言う人は居るだろうが、じぶんはそうは思わない。
音楽が聴きたいのだ。最近来日が決まったマドンナなどのミュージシャンならわかる。(マドンナも敬意を抱く一人)だが、H&Oにそんな願望は抱いていなかった。
しかし、長年つちかった末に得た栄誉は、それを許さない。そんなジレンマが見える光景。
ヒット曲で固めるステージにせざるを得ない状況が、彼ら2人に乗っかっていた。
中盤のスローでソウルフルな曲に、彼ら2人が実は今やりたい音とあらがいをのぞかせた。
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終わった後、ひと気無い呑み屋で話す音楽夜話が、愉しく興味深かった。
兄「後ろのおばさんが、アンコールで引っ込むたびに”なんであの曲やんないのよ”とバーゲンセールみたいな感じだった。この場は”プライベート・アイズ”をいつかけるかばかり期待している”空気”が支配していた。」
義姉「エリック・クラプトンのライヴに行ったとき、レイラを嫌々演奏しているのが伝わってきた。たぶん本気で演りたくないんだろうけど、やらないと済まないという感じで・・・」
ぼくは、95年「ソリトンSIDE-B」の夏・沖縄編で、高野寛さんが”やりたいことと聴く側が望んでいる音にギャップがあって、本当はこっちに行きたいのに行けない”悩みを細野さんに吐露していた話しをした。
細野さんは『高野くんがそう言うのは、まだ早い。ぼくですら、それが出来ずに巻き込まれているんだから。』と言っていたが、最近の細野さんがそういう呪縛から放たれ・自由に愉しく演奏していること。
H&O彼ら自身が思っているであろう理解されづらいじれったさに、そんな細野さんのことを想い出した。
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かつて、渋谷陽一さんは予定調和で受けの良い音楽を”産業ロック”と言ったが、いつからライヴはこんなお行儀のよい”しきたり業務”になったのだろうか?
大勢を呼ぼうとするメインホールで行われるライヴは、今じゃ良い”音の場”じゃない。
アンコールが前提で、一度引っ込み、その後は(どこかの場所と同じで)「これで、終わりです」という放送に従い、素直に出口に急ぐサラリーマン化した世界。
そんな形骸化が蔓延して、それで良い、となってしまっている世界。
お約束の世界は、渋谷さんが語った産業・・・どころか、空虚な時空。
ライヴの始まる前、それに終わった後のざわめき。
何度となく来た武道館の席に座りながら、中心に天上から吊り下げられた国旗と、その周囲。
この場所で、なんと多くのことがあったか。それを感じさせる空間として、武道館並びにおなじみのライヴ会場というのは切ない。中野サンプラザ、厚生年金会館・・・。そんな話しを三人でした。
お互い今まで観たライヴを語りながら、ベストないくつかを選ぶとすると・・・三人一致したのがデヴィッド・シルヴィアンの人見記念講堂で演じた「ブレミッシュ」ツアーだった。
35年前この場所でYMOの凱旋公演が開かれた武道館。
その場に居合わせていたかったなぁ、と思いながらぼくは座っていた。
これもまた、単なるじじばばのノスタルジーではない。これは強がりでもツッパリでもない純粋な想いである。
■YMO 「Behind The Mask」1980年12月武道館凱旋公演■