■ヒューマンリーグ 「ヒューマン」1986■
ビルボードチャート 1986年10月25日
10位 アニタ・ベイカー 「スウィート・ラヴ」
9位 ヒューマンリーグ 「ヒューマン」★
8位 リサ・リサ&カルト・ジャムWithフルフォース 「オール・クライド・アウト」
7位 ジェネシス 「スローイング・イット・オール・アウェイ」
6位 ボストン 「アマンダ」
5位 ドン・ジョンソン 「ハートビート」
4位 ロバート・パーマー 「I Didn’t Mean To Turn You On」
3位 ジャネット・ジャクソン 「あなたを想うとき」
2位 ティナ・ターナー 「ティピカル・メイル」
1位 シンディ・ローパー 「トゥルー・カラーズ」
シングル「ヒューマン」を初めて聴いたのは、1986年10月ラジオ番組”全英ポップス情報”(NHK-FM・DJ:ピーター・バラカンさん&鈴木さえ子ちゃん)だった。
曲が終わるとピーターさんはヒューマンリーグ2人の女性ヴォーカルがあまりにも下手なことを嘆きつつ、エンジニアがうまいヴォーカルの方にミックス段階で音を差し替えていたことを話していた。
その後、冬に向かう野外で、FENや湯川れい子さんの全米トップ40から何度もこの曲が流れていた。
フィリップ・オーキー/ヒューマンリーグは、ヘヴン17へ分裂していくのに始まり、80年代かなり苦労をした。
アルバム「DARE」からのシングルカット「愛の残り火」がたんまりヒットし、テクノ/エレクロニック・ポップの代表曲扱いで、デペッシュモード、ヤズー、ユーリズミックス、分派したヘヴン17・・・etcやニューロマンティックス面々と共にイギリスのみならずアメリカのチャートを席巻する事となった。それは1981~1982年のこと。それは当時、ブリティッシュ・インヴェイションと言われた。
その後、発売された2枚のシングル「ミラーマン」「ファシネーション」は素敵な曲で、バンドとしての音をキープしていた。
しかし、あっという間にテクノすら飽きられていく時代の加速度のなか、1984年をむかえ、シングル「レバノン」を含む新譜「ヒステリア」を発表するが、大ヒットした「DARE」の影とイメージを引きづったファンから逃げられる。
「レバノン」にあったロック寄りのエモーショナルな側面。
それをキーとしてアルバムが出来ているか?と思いきや、ぼんやりしたゆったりの曲があったり、確かに焦点がぼやけたアルバムではあった。
ぼくはと言えば、好きな曲もあったが、やはりアルバムとしての出来は?と訊かれると「んん~」とうなるものだった。
それ以降、さまざまなインタビューにフィリップ・オーキーはよくキレていた。
どうせ、お前らは「DARE」パート2しか望んでいなんだろ!と。
「DARE」とその余波に酔えた時期は良かったが、その後の行き詰まりとプレッシャーは、相当フィリップ・オーキーの精神にダメージを食らわしていた。
彼らの「DARE」の魅力は、電子楽器音の新鮮さとポップでキャッチーなメロディーの組み合わせにあったが、それもあっという間に、これを契機に湧き出たテクノバンドの渦となって、彼らの専売特許じゃなくなっていった。
同じセリフを渋谷陽一さんが1984年発表のウルトラヴォックス「ラメント」のレビューで言っていたが、時代の残酷さを示していた。新しい分野を開拓した発明家が、その発明の一般化に伴い、その身を追われる「まったく損で不条理」な現実。
”りすぺぐど”なんかされっこない。ただ利用され・盗まれ、吐き捨てられるだけが現実。
これは一般社会にも通ずることだが、後輩なり自分らを追い掛ける側の者に、「まあまあ」とふんぞり返っていると、あっという間に自分が喰われる側に回っている、という流れ。
「DARE」の1981年から「ヒステリア」の1984年には”ただが3年、されど3年”。超高速回転した音楽世界。
ときは微妙に重なりズレるが、
1980年その音楽が日本全土で流れる始末になったバンドが、憤怒の末・自らのバンドとファンを否定するような踏み絵を用意して、”世間”にあらがい・対峙することによって”みそぎ”と浄化を終えようとしたYMOのステップを想う。それは五・一五から二・二六への流れのように水面下で準備され、1981年3月21日に”世間”に叩き付けられた。
ヒューマンリーグはそこまでのことは思わず、「DARE」の延長線上でシングルヒット世界を行っているうちに、時の分水嶺は無情にも彼ら側には立たなかった。
テクノ時代をいろどったYMOとヒューマンリーグ。
この2つのバンドが辿った分かれ道。
90年代になって、CDで”ヒューマンリーグvsYMO”なんてものがあったことを想い出した。
1986年のシングルカット「ヒューマン」。
この時点ですでにバンドは多くのメンバーが脱退し、ヒューマンリーグは3人になっていた。
しかしAORの匂いもするこの曲で、ヒューマンリーグは4年ぶりにビルボードチャートの1位に1986年11月になった。