頑張って歯医者さん通いは続いている。
先生が偶然この島の先輩と知り、先生と会うのが楽しみになっている。
キュイーンという音、歯根治療の痛みはあっても、治ることに向かうのだから我慢せい。
もっと苦しんでいる人たちの本気の頑張りにくらべ、歯ごときで「なんと幼稚な」。
子供のようで笑ってしまう。
しかし、そうも言えない。
こないだ神保町で手に入れた坂口安吾の本に「不良少年とキリスト」という短編があるのだが、「もう十日、歯がいたい」と始まる。
そうして狡猾な歯医者、それに(ほんとうは可愛いはずの)奥さんとのやりとりを記しながら、「バカヤロー」と痛みに耐えかねて言う。まるで椎名誠のエッセイを思い出させる。
今週、晴れていても肌寒いときが出てきた。
南天は鮮やかな赤い実を結び出し、葉は良い色に変わり出した。美しい季節の到来。
そのせいだろうが、帰り道、おでんくんの具材をたんまり買って帰り、ぐつぐつごぼごぼと煮る。白湯を呑みながら、白い大根に火が通り色が変わるのを待つ。
ラジオを点けてみると、ずいぶんと良い音楽が・・・。その理由はDJの語りでわかる。
この10月の番組改編で始まった番組。語りながら音盤を掛けるのは(ピチカートファイヴの)小西康陽氏。
この番組は偶然何度か聞いた。というのも、XTCの「GO2」に入った『メカニック・ダンシング』が流れたからである。その後も、久々に聴く曲たちに「ギョッ」とさせられた。
(ラジコではない)ラジカセで聴くラジオ。
そのTBSのガサガサする中から、この曲が流れるとは思いもしなかった。その後も久々に聴く、ニューウエイヴ寄りの良い曲が連なり流れた。
他の曜日には、DJとして(なんと!)佐野元春さんや鈴木慶一さん。
小西氏並びにピチカートファイヴなるものを避けて生きてきた。
というのも90年代(じぶんは大阪に居たが)「渋谷系」というコトバを初めて聞いたとき”プッ”と吹き出して笑った記憶。その後「東京に居ない間に、資本主義&快楽主義の象徴=渋谷は、ついに野外で性行為でもヤリ始めたか・・・。まあ、不思議じゃないな。」と思った。
よくみうらじゅんさんら”The Other Side”が「おしゃれねぇ・・・」と半笑いで言うのと同じ思い。かゆくてたまらなくなる。
そんなユニットのヴォーカルだった野宮氏が歌う姿を、今年夏の野外で初めて観た。
声も歌も良かったが、曲の合い間に話したとき自ら”渋谷系”と言うさまに、けっこう正直驚いた。
誰が”渋谷系”と呼んだか?電通が収奪目的で用語化したか?は知りたくもないが、そんな用語を当事者が何のてらいもなく言う様は、理解しえなかった。
(そうなるとは知らず)水族館レーベルで知ったポータブルロックの「グリーンブックス」。
そのスタジオライヴをカセットテープで聴きながら、なんて切なく美しい曲なんだろう。
この曲は当時の愛聴曲だった。
今年の夏歩く際、この「グリーンブックス」とテイ・トーワさんのアルバムに収まった「甘い生活」がmp3プレイヤーに入っていた。ヴォーカリストとしての彼女は素晴らしいと思う。
話しは逸れたが、小西氏を敬遠する中、唐突に出会ったラジオ番組「サウンド・アヴェニュー」。
タイトルはサウンドストリートを想起させる。
実質それをイメージして、というかそのものを意識した番組だろう。
前に聞いたときは途中で他の局に変えたが、今日は作業しながらだったので、最後まで聴き終えた。
途中、小西氏が演じたビルボードライヴ東京の録音が流れた。彼とゲスト女性のデュエット。
その素朴なヴォーカルと良い雰囲気の曲になごみ、それまでの思いが溶けるような感じになった。
と言って、ピチカート・・・を聴くつもりはない。
***
深夜シングル盤・段ボール箱をまさぐった。
もはやターンテーブルに乗せるより、鑑賞品という位置付けのシングルレコードたち。
こないだ選んだデペッシュモ-ドのシングル「World In My Eyes」のジャケットワークが好きである。スキャニングしてみる。
バラという花をキーワードとして想い出す音楽家は、プリンス、モリッシーといった人が出るが、共にデペッシュモ-ドの作品「ヴァイオレーター」が浮かぶ。
そういう今夜の闇夜帰路では、季節柄イアン・マッカロクのシングル盤の曲を聴いていた。
こちらのジャケットもどうにも素敵で仕方がない。良い季節になった。
■Ian McCulloch 「September Song」1984■