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晩期資本論(連載第15回)

2014-12-02 | 〆晩期資本論

三 搾取の構造(4)

 前回見たように、マルクスによれば、「労働力の消費過程は同時に商品の生産過程であり、また剰余価値の生産過程である」のであった。この命題をさらに詳細に解明することが、『資本論』の本題である。その前提として、労働力が資本家に消費される過程で見られる二つの現象について整理される。

労働者は資本家の監督のもとに労働し、彼の労働はこの資本家に属している。・・・・・・第二に、生産物は資本家の所有物であって、直接生産者である労働者のものではない。

 資本主義社会に生きている者たちにとっては釈迦に説法であるが、労働者は資本家の指揮命令に背くことはできず、自分が生産した製品を無断で持ち帰れば、窃盗罪に問われる。この点で、自らの判断に従って労働し、自ら生産した製品はまず自分の所有物となる自営業者とは大きく異なるわけである。

・・・われわれの資本家にとっては二つのことが肝要である。第一に、彼は交換価値をもっている使用価値を、売ることを予定されている物品を、すなわち商品を生産しようとする。そして第二に、彼は、自分の生産する商品の価値が、その生産のために必要な諸商品の価値総額よりも、すなわち商品市場で彼のだいじな貨幣を前貸しして手に入れた生産手段と労働力との価値総額よりも、高いことを欲する。

 今度は、資本家の視点で見た資本主義生産過程であるが、要するに、資本家は「ただ使用価値を生産しようとするだけではなく、商品を、ただ使用価値だけではなく価値を、そしてただ価値だけではなく剰余価値をも生産しようとするのである」。

価値形成過程と価値増殖過程とをくらべてみれば、価値増殖過程は、ある一定の点を超えて延長された価値形成にほかならない。もし価値形成過程が資本の支払った労働力の価値が新たな等価によって補填される点までしか継続しないならば、それは単純な価値形成過程である。価値形成過程がこの点を超えて継続すれば、それは価値増殖過程になる。

 マルクスが挙げているいささか古典的な紡績労働の例―彼の時代には典型的な資本主義的労働であった―で言えば、こういうことである。
 20時間で生産される10シリングの綿花10ポンドと、4時間で生産される2シリングの紡錘四分の一個分を使い、必要労働6時間の紡績労働による付加価値3シリングとして、計30時間で15シリングの綿糸10ポンドを生産する場合(賃金は日当換算で6時間3シリング)、資本家は生産手段としての綿花と紡錘で計12シリング、紡績工の労働力に3シリング、総計15シリングを投資して、15シリングの綿糸10ポンドを生産していることになるが、これではプラスマイナスゼロであり、価値増殖が何ら生じない。資本制企業で、このような経営を続けるなら、倒産は時間の問題である。
 これに対して、40時間で生産される20シリングの綿花20ポンドと、8時間で生産される4シリングの紡錘二分の一個分を使い、12時間の紡績労働による付加価値6シリングとして、計60時間で30シリングの綿糸20ポンドを生産する場合(賃金は同じく日当3シリング)、資本家は生産手段の綿花と紡錘で計24シリング、労働力に3シリング、総計27シリングを投資して、30シリングの綿糸20ポンドを生産しているので、ここで3シリングの価値増殖が生じ、これがいわゆる剰余価値となる。
 つまり、資本家は前の事例と比べて、紡績労働で倍働かせることで付加価値を生み、差額の3シリングを搾取したことになる。倍増した12時間労働のうち、最初の必要労働6時間を越える部分は剰余労働となる。つまり、長時間労働である。
 このように、労働力の価値を示す必要労働時間を越えた労働を強いることは、資本が剰余価値を搾取する仕掛けである。ただ、従来の資本主義(修正された資本主義)では労働時間規制により、このような極端な長時間労働を強いることはできなくなっていたし、晩期資本主義でも基本的に労働時間規制は継承されているが、近年の「労働ビッグバン」により、労働時間の規制緩和という逆行現象が生じることで、再びマルクス的な意味での剰余労働は増加しつつあると言えよう。

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