「アベノミクス解散」の投票日を迎えたが、メディアの予想では自民党圧勝だという。このような前打ち報道も圧勝をサポートしているように見えるのだが、もし本当に与党圧勝なら、それは指摘されているとおり低投票率のおかげであろう。
有権者の関心が低いタイミングを狙って解散し、低投票率にして与党を圧勝させるというのは、小選挙区制では一つの術策であるが、今回はその手が露骨に使われている可能性がある。
低投票率とはつまり棄権者が多いことを意味するが、教科書的には棄権は有権者の自己放棄・怠慢だとされる。しかし、筆者は単なる怠慢や諦めの境地からの棄権と、より積極的な政治的抵抗手段としての「不投票」を区別したい。
ここで言う「不投票」とは、選挙というプロセスに抵抗し、利権や特権の実現のために選出される議員や首長その他の公職者を当選させない積極的な政治的抵抗手段をいう。
外見上、棄権と不投票は似ているが、前者は有権者が個別に投票しないだけであるのに対し、後者はより意識的かつ集団的に投票しないという点で、大きな違いがあるのである。
その点、一部の有権者限りの中途半端な棄権が出ても、選挙自体は完全に有効であり、結果として与党の目論見どおりの「圧勝」がもたらされるだけである。しかし、仮に文字通りの集団的不投票により、有権者全員が投票しなければ、一人も当選人は出ないことになり、政権は成立せず、革命的状況となる。
ただ、これは理論上の想定であり、現状、そのようなことはなかなか期待できない。しかし、投票率が極めて低い選挙は法的に有効に成立し、数字上「圧勝」したとしても、政権は投票したほんのわずかな有権者の支持を得ただけであり、その民主的な基盤は空洞である。
「大義なき解散」とも評されたように、今般解散総選挙は9年前の「郵政民営化」解散総選挙以上に長期政権狙いの術策的な性格が濃厚である。真正な無党派を自任するなら、浮動的に投票するよりも、集団的に投票しないほうがかえって自身の「信条」に近くないだろうか―。
[追記]
本時評は、公開時には「集団的棄権―無党派的抵抗」と題していたが、その後の熟考を経て、掲記のタイトルに変更した。それに伴い、本文の内容も一部変更したが、全体の論旨に変更はない。なお、変更の経緯については、拙論『共産論』該当ページ下の注記(※)を参照されたい。