三 搾取の構造(6)
生産物の価値a=不変資本c+可変資本v+剰余価値mという基本定式のうち、c+vが前貸し資本の総額Cであるが、これに剰余価値mが付加されて増殖された資本 C'が得られる。ただ、cは不変資本価値がそのまま生産物価格に移転するだけであるので、これを捨象すると、価値生産物v+mが残る。この縮小定式のうち、mをvで割った商、すなわち「可変資本の価値増殖の割合、または、剰余価値の比例量」が剰余価値率を示す。
可変資本の価値はそれで買われる労働力の価値に等しいのだから、また、この労働力の価値は労働日の必要部分を規定しており、他方、剰余価値はまた労働日の超過部分によって規定されているのだから、そこで、可変資本にたいする剰余価値の比率は、必要労働にたいする剰余労働の比率であ(る)。
価値を時間の凝固として把握するマルクスの理論に従えば、ここで言う必要労働/剰余労働とは、それぞれ必要労働時間/剰余労働時間の対象化として把握されるが、この場合、必要労働時間とは「労働力という独自な商品の生産に必要な労働時間」―生活及び生殖に必要な労働時間―の意味であり、これまでの「一般に一商品の生産に社会的に必要な労働時間」の意味ではないと注記されている。つまり、同じ術語が二重の意味で用いられるという煩雑な説明となっている。ただ、労働力を一つの無形的な「商品」とみなすのであれば、両者は実質的に同じことを言っていることになる。
それゆえ、剰余価値率は、資本による労働力の搾取度、または資本家による労働者の搾取度の正確な表現なのである。
一番単純な例で言えば、必要労働6時間、剰余労働6時間なら、剰余価値率すなわち労働搾取度は100パーセントであり、必要労働の倍働かせる完璧な搾取となる。もちろん100パーセントを越えるような超搾取も想定できる。反対に、搾取度は100パーセント未満であっても、労働内容が過酷であれば、実質的な搾取度は高度であることもあり得るので、この指標はあくまでも形式的な尺度にとどまるが、マルクスの労働分析では最重要のキー概念となる。
・・この剰余労働が直接生産者から、労働者から取り上げられる形態だけが、いろいろな経済社会構成体を、たとえば奴隷制の社会を賃労働の社会から、区別するのである。
奴隷制は、人身そのものを商品として売買の対象とし、主人が所有・使役することで成り立つ経済社会体であるのに対し、資本制は、自らの労働力を商品として売る労働者に、その買い手である雇用主が剰余労働を強いることで成り立つ経済社会体であることが、確認される。
必要労働時間と剰余労働時間との合計、すなわち労働者が自分の労働力の補填価値と剰余価値とを生産する時間の合計は、彼の労働時間の絶対的な大きさ―一労働日(working day)―をなしている。
残業習慣のある社会の労働者ならば、この理は経験的に理解されるであろう。ただし、剰余労働=残業ではない。残業は典型的な剰余労働となり得るが、残業代が支払われる限りでは完全な不払い剰余労働ではない一方、残業なしでも、本業の長時間化によって実質的な不払い剰余労働が生じていることもある。
☆小括☆
以上、「三 搾取の構造」では、『資本論』第一巻第四章「労働力の売買」の積み残しから始めて、第五章「労働過程と価値増殖過程」、第六章「不変資本と可変資本」、第七章「剰余価値率」までを参照しながら、マルクスの解析に沿って資本主義的労働搾取の構造を見た。