昭和17年(1942年)の卒業アルバムは全員素足でした。
先生は靴を履いていますが。
校旗も見慣れた二葉のデザインではなかったようだ。「誓詞」「興亜ノ大国民」「臣道一筋」
国民学校歌として山田耕筰の校歌が歌われていた。「薙刀部」が活躍していた。
「懐かしの二葉のプール」このプールの水が新潟地震発生時には半分もプールの外に溢れる様子を2階の校舎の窓から見ていた記憶もあります。
新潟国体に出場した思い出。選手ではありません。マスゲームです。NIIGATAの人文字でIの
文字を担当しました。参加賞バッジは今でも大切に持っています。
お別れ会では昔の懐かしい人に遭うことが出来た。生徒会で一緒、大学で一緒だった人だ。それこそ大学以来だから45年ぶりくらいだろう。顔は随分印象が変わっていた。お互い様ではあるが。
旅行業界で過ごした由。ここも一部共通していた。能楽を研鑽された方だ。同期卒業者のテーブル席は僅か1卓。11名とは。団塊の世代としてはなんとも寂しい参加人数だった。
荒れた世代と評された学校事情もあったかも。この世代の同窓会幹事は存在しない。