モディカもまた、古代からの歴史が斜面にうずたかく積みあがった街だ。
その中にバロックの教会がたちあがっているのが見えるだろうか⇒カオスの中にシンメトリーのバロック建築がその存在感を発揮している。教会は1738年完成だが、下の街にあるガリアルディ通りから教会入口へ導く二百五十段の階段は1818年に完成
建物に近づいて見上げる 地元自治体のホームページによると、中世初期から教会があったが、西暦845年にアラブ人によって壊され、12世紀にやってきたノルマン人のロジェール王の時代に再建された。1613年の地震で壊れたものを補修したが、1693年にさらに大きな地震が襲って倒壊。 再建に、すでにラグーサでサン・ジョルジョ教会を手掛けていたシラクーサから呼ばれた建築家ロザリオ・ガリアルディに依頼され、名前は同じサン・ジョルジョでかたちもよく似た教会が建設された、というわけである。※①ラグーサの日記を参照。
午後のお休みに入る少し前、ひっそりした教会の中。主祭壇は二つの地震の前1573年にベルナルディーノ・ニジェールによって描かれた板絵のパネル祭壇画。この手のものとしてはシチリア最大なのだそうだ⇒
シチリア島メッシーナ出身で、後年バロック建築の大家となったフィリップ・ユバラは、若い時にここで色大理石祭壇を制作していたと教えてもらった。そのひとつがこちら
後年彼が北イタリアのトリノで代表作となる仕事をしているが、そこでは南のようには色大理石が手に入なかったので、かわりに彩色で疑似大理石をつかっているのだそうだ。
トリノへ行く機会に探してみようと思います。
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モディカのある丘は、かつてイアンニとマウロという二つの川の合流地点だった。なんども氾濫する川は治水され蓋をされて、今は「下の街」として街の一部になっている。そこからさっきの丘の上の街を見上げるとこんな風にみえる
元は川だったと言われると、道が傾斜していることでその名残が感じられる。そのまま「下流」へあるいていくと、下の街の中心教会サン・ピエトロの前に出た内部は、先ほどの上の教会と雰囲気が似ている同じ時期にたくさん建設されたバロック教会というのは、どうしても似た雰囲気になってしまうらしい。
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そろそろお昼時、元の川に沿ったところにあるオステリアを勧めてもらって入る。この店の名前、日本語に訳すと「失われゆく時の味」とでもなるそうな。昔ながらの田舎料理を出す店なのである。九月半ば過ぎとはいえシチリア、天気の良い今日は昼間屋外日向は誰も座れない。中に入ると賑わっておりました「この店のメニューは写真付きでわかりやすいですよ」そう聞いて、はじめはとんでもなくツーリスティックなだけの店かと心配したが、まったくそんなことはなかった。こんな風に使っている材料の写真から調理法まで分かりやすく解説してくれている小松がいちいち写真を撮っていたら、おやじさんが「一冊あげるから」と、新しいのをプレゼントしてくれました(^^)/日本で似たようなものを再現できるかしらん。上の写真を注文して出てきたのがこちら⇒ 前菜もりあわせがこちら⇒ そして、いちばん印象的においしかったのが、このトリッパ(内臓・胃袋)料理だった⇒トリッパは多くの店でトマト味に煮込んでしまうが、ここでは玉ねぎをはじめとした野菜で煮込み、きつすぎないスパイスで仕上げてある。これ、また食べたい味です。
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この近くの地元チョコレートも紹介していただいた⇒ もともと南米でカカオをすりつぶした医薬飲料としてスタートしたからか、この歴史あるチョコレート屋さんは入ると薬局みたいな雰囲気もある40℃程度でゆっくりかき混ぜるのでざらっとした食感がある。試食になかったけれど、めずらしいと思って買ったのは、このカラスミ風味と海苔風味の二つのミニチョコセット。これで2ユーロ30セントでした。
おいしくお昼をいただいて、今日三つめの街③ノートへ移動・・・