朝、パレルモから8キロ離れた山にあるモンレアーレ大聖堂へ
ここは12世紀の巨大なモザイク画がもっとも美しく残されている。
右上にちょっと見えているキリストの右手が二メートルもある。
初代シチリア王となったノルマン王朝のルッジェーロ二世の孫・グリエルモ(英語ではウィリアム)二世が、祖父の夢を継いで建設させたもの。「夢」とは、パレルモの司教から独立した王のための教会である。
ここを建設させるため、当時最高の職人が集められた。この扉はピサの斜塔建設にもかかわったボナンノ・ピサーノによると分かっている名前は知られていなくても、ほかの個々の作品もその出来を見れば、当時の最高水準であると理解出来るだろう。付属の回廊はイスラム的なデザイン中央に突き出した石の柱から水が流れてくるのはサイフォンの原理を使っていた。
回廊の柱頭にある彫刻の細部の描写力もすばらしい
**
パレルモへ戻り、かつての王宮・現州庁舎にある「ノルマン礼拝堂」を見学ここは今日見る三か所の黄金モザイクの最初に造られたもので1130年にルッジェーロ二世が王になった事を記念して1130年に建設がスタートされた。
当時はイスラムの職人たちもたくさんいたので、彼らの技術を使ったモスクによくみられるデザインそして、フィレンツェの大聖堂を建設したブルネレスキの弟子は、作品の中にそっと師匠の代表作を忍び込ませている※写真の右上の赤いドーム
★ブルネレスキの弟子ならば時代が違う!⇒その通り。このノルマン礼拝堂は後のアラゴン時代にもさまざまな改修を受けていて、このドームを描いた人物は15世紀の改築の時にやってきたのだ。
パレルモ大聖堂へやってくるここもかつてはロマネスクの装飾がされていたのだろうが、今はバロックに成り果てて(失礼)しまっている。
マッシモ劇場で少し降りて市場も見学。その後昼食。
***
パレルモから東へ一時間弱走るとチェファルーという小さな町に着く。ここはローマ以前のフェニキアやギリシャ人が住んだ街。頭のような岩が印象的なので、ギリシャ語の頭=ケファロンから街の名前になった。
小さな町、灯台のところでバスを降りてあるいていくすぐに旧市街の街並み古代の街の部分の方がまっすぐな道になっているのが面白い。
突然視界がひらけて、小さな町には似合わないほどの大聖堂が姿をあらわした。
朝見たモンレアーレと同じ、二つの塔を持つノルマン様式になっている。さっそく入ろうとおもったが・・・あ、お昼休みだ。再び旧市街へ、中世の洗濯場の跡など見に行く。
ツアーの短い滞在時間の間で、閉まっている事が多いイタリアの教会を見られるかはわからない。16時半になってようやく扉が開いたので、喜んで入った古代の柱を再利用した空間はいつもながら重厚。柱頭のデザインそれぞれをもっとゆっくり見たいけれど、今日はとにかく主祭壇の上で黄金に輝く「全能のキリスト」を見なくては。
ここは、パレルモのノルマン礼拝堂を建設したルッジェーロ二世が、カトリック教会の影響力の強すぎるのをきらって独自の司教座としてつくらせた場所。※シチリア全島では23もの司教座がある。
しかし、建設途上で彼は亡くなってしまい、心ならずもパレルモ大聖堂に葬られてしまった。
遺志を継いだのが孫のグリエルモ二世。彼が造ったのがモンレアーレ大聖堂だった。
この三か所の黄金のモザイク、なるほど似ている筈であります。
****
山がちな海岸線に高速道路が築かれているを抜けて、一路メッシーナからタオルミナをめざす。
と、どうもバスの調子がおかしい。赤いランプが二個も灯ってついに緊急停車。修理をはじめた。ううん、これは心配。このままバスが壊れて代車がやってくるのを待つことになったら・・・なんとか代案はないものか。
すぐちかくがPATTIという駅であるのに気が付いた。
高速とすぐそばの道を隔てる金網は、案の定一部破れていた。ちょっと駅まで行ってみようか。メッシーナ経由でタオルミナまで電車という手もあるだろう。
そういえば、こんなこともありました
幸い三十分ほどで走れる状態になり、空調はどうもおかしいが無事にタオルミナまで到着することが出来た。
時刻は19:20。タオルミナの狭い道を走れるミニバスに乗り換えであります
ここは12世紀の巨大なモザイク画がもっとも美しく残されている。
右上にちょっと見えているキリストの右手が二メートルもある。
初代シチリア王となったノルマン王朝のルッジェーロ二世の孫・グリエルモ(英語ではウィリアム)二世が、祖父の夢を継いで建設させたもの。「夢」とは、パレルモの司教から独立した王のための教会である。
ここを建設させるため、当時最高の職人が集められた。この扉はピサの斜塔建設にもかかわったボナンノ・ピサーノによると分かっている名前は知られていなくても、ほかの個々の作品もその出来を見れば、当時の最高水準であると理解出来るだろう。付属の回廊はイスラム的なデザイン中央に突き出した石の柱から水が流れてくるのはサイフォンの原理を使っていた。
回廊の柱頭にある彫刻の細部の描写力もすばらしい
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パレルモへ戻り、かつての王宮・現州庁舎にある「ノルマン礼拝堂」を見学ここは今日見る三か所の黄金モザイクの最初に造られたもので1130年にルッジェーロ二世が王になった事を記念して1130年に建設がスタートされた。
当時はイスラムの職人たちもたくさんいたので、彼らの技術を使ったモスクによくみられるデザインそして、フィレンツェの大聖堂を建設したブルネレスキの弟子は、作品の中にそっと師匠の代表作を忍び込ませている※写真の右上の赤いドーム
★ブルネレスキの弟子ならば時代が違う!⇒その通り。このノルマン礼拝堂は後のアラゴン時代にもさまざまな改修を受けていて、このドームを描いた人物は15世紀の改築の時にやってきたのだ。
パレルモ大聖堂へやってくるここもかつてはロマネスクの装飾がされていたのだろうが、今はバロックに成り果てて(失礼)しまっている。
マッシモ劇場で少し降りて市場も見学。その後昼食。
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パレルモから東へ一時間弱走るとチェファルーという小さな町に着く。ここはローマ以前のフェニキアやギリシャ人が住んだ街。頭のような岩が印象的なので、ギリシャ語の頭=ケファロンから街の名前になった。
小さな町、灯台のところでバスを降りてあるいていくすぐに旧市街の街並み古代の街の部分の方がまっすぐな道になっているのが面白い。
突然視界がひらけて、小さな町には似合わないほどの大聖堂が姿をあらわした。
朝見たモンレアーレと同じ、二つの塔を持つノルマン様式になっている。さっそく入ろうとおもったが・・・あ、お昼休みだ。再び旧市街へ、中世の洗濯場の跡など見に行く。
ツアーの短い滞在時間の間で、閉まっている事が多いイタリアの教会を見られるかはわからない。16時半になってようやく扉が開いたので、喜んで入った古代の柱を再利用した空間はいつもながら重厚。柱頭のデザインそれぞれをもっとゆっくり見たいけれど、今日はとにかく主祭壇の上で黄金に輝く「全能のキリスト」を見なくては。
ここは、パレルモのノルマン礼拝堂を建設したルッジェーロ二世が、カトリック教会の影響力の強すぎるのをきらって独自の司教座としてつくらせた場所。※シチリア全島では23もの司教座がある。
しかし、建設途上で彼は亡くなってしまい、心ならずもパレルモ大聖堂に葬られてしまった。
遺志を継いだのが孫のグリエルモ二世。彼が造ったのがモンレアーレ大聖堂だった。
この三か所の黄金のモザイク、なるほど似ている筈であります。
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山がちな海岸線に高速道路が築かれているを抜けて、一路メッシーナからタオルミナをめざす。
と、どうもバスの調子がおかしい。赤いランプが二個も灯ってついに緊急停車。修理をはじめた。ううん、これは心配。このままバスが壊れて代車がやってくるのを待つことになったら・・・なんとか代案はないものか。
すぐちかくがPATTIという駅であるのに気が付いた。
高速とすぐそばの道を隔てる金網は、案の定一部破れていた。ちょっと駅まで行ってみようか。メッシーナ経由でタオルミナまで電車という手もあるだろう。
そういえば、こんなこともありました
幸い三十分ほどで走れる状態になり、空調はどうもおかしいが無事にタオルミナまで到着することが出来た。
時刻は19:20。タオルミナの狭い道を走れるミニバスに乗り換えであります