シラクーサの朝、オルティージャ島の入口に位置するホテルの最上階で朝食
古代のシチリアで、シラクーサが一番重要な街であったのは、この島がつくる天然の良港のおかげである。
面積1平方キロメートルほどしかないが、古代から現代までが詰まった島。そして、海の中の島にもかかわらず、真水が湧き出すアレトゥーザの泉がある。これも人が住むために重要な要素
オルティージャとは「ウズラ」という意味だそうな。そのくちばしの先端=岬の突端には、現代でも要塞がある
現在みられる要塞の骨格は、この13世紀に神聖ローマ皇帝兼シチリア王のフェデリーコ二世が建設したこの四角い部分
第二次大戦においても重要な場所だったので、現代の大砲が置かれた跡がはっきり見える
十数年前までは軍が管理する場所だったのだそうだ。
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1943年のイギリス軍上陸線に関連した場所について、こちらに書きました。
要塞の内部は修復中。この写真で扉の上部左右のくぼみに置かれていたという、青銅の羊についての話が興味深かった。
展示室にはそのレプリカが二頭ならべられていた。
調べてみると、この羊はなんと、紀元前三世紀末アルキメデスの時代にさかのぼるものだという。
アルキメデスはローマ軍に対抗するためにに数々の兵器を考案したことでも知られる。
現地での説明版によると、この羊は古代シラクーサの中心広場四隅の四本の柱の上に置かれていたという。羊には穴があけられていて風が通り抜けてゆく時に羊が鳴くような音を出し、風の向きと強さを知らせたのだそうだ。
この言い伝え、信じるか信じないかは、あなた次第ですが。
その後、羊は、1038年にアラブからシラクーサを取り戻したビザンチンの将軍マニアーチェが宮殿に飾ったとされるが、仔細は分からない。別の話では、シラクーサがローマに占領された後に行方不明になり、15世紀になって地中から発見されたとあった。
要塞入口左右に羊が設置したのは、スペイン・アラゴン家の支配下ジョヴァンニ・ヴェンティミーリア。これは、確かめられている事実のようだ。
現在、この羊二頭はパレルモの博物館所蔵。
もともと四本の柱の上に置かれていたとすると、あとの二頭はいずこ?
まだこの要塞の地下どこかに埋もれているやもしれませぬ・・・
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少し戻って大聖堂のある広場へ向かう。あたかも劇場のような細長い空間が建物の間からみえてくる。
上の写真で奥右手に見えている大聖堂を正面左手からみる
すると、横の壁の部分にギリシャの神殿の柱がそのまま使われているが見える。
紀元前五世紀のアテネ神殿のドーリア式の柱が、そのままキリスト教の教会を支えているのである。
内部も古代神殿の構造がそのまま引き継がれている。
下の写真のアーチは、七世紀に聖ゾジモが教会に改造した時にあけられたもので、もともと神殿ではただの壁だった
入口方向をふりかえると、ドーリア式の柱がど~んと扉の左右を支える
古代神殿ではしかし、入口ではなくいちばん奥であった。ギリシャ神殿は入口が東を向き、教会は入口が西を向いているのが通常であったから。※例外の教会も多々ありますが
奥の礼拝堂に、イタリアにはじめて油彩画を伝えたというアントネッロ・ダ・メッシーナの描いた聖ゾジモの祭壇画。一見の価値がある
ゾジモは、前述のように、紀元後七世紀に神殿壁に穴を開けてアーチ構造に変えた人物。
驚くのは、巨大な石の柱がところどころでずれている事。下の写真で、下の基部と上部がずれているのがわかっていただけるだろうか↓
このずれは1693年の大地震の時に起きた。
ずれたのを元に戻す事はできず、そのまま壁に埋め込んで補強したのだった。
カンツォーネで有名なサンタ・ルチアは、実はここシラクーサの人。
もともとは、この大聖堂に遺体があった。下は現在のサンタ・ルチア礼拝堂
1038年にヴィザンチン帝国の将軍マニアーチェが街をアラブ人から解放すると、有名な聖女の遺体はヴィザンチンの首都コンスタンチノープルに運ばれてしまった。さらに、1204年に第四回十字軍でコンスタンチノープルが陥落すると、ヴェネチアに運ばれる。現在サンタ・ルチア駅となった場所にあった教会に納められたのだった。
2014年12月、サンタ・ルチアの遺骸はしばし里帰りを果たした。それを記念するプレートがこれ
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★この大聖堂広場の地下に、巨大な空洞が広がっている事はあまり知られていない。2010年になって、そこを見学できるようになった。今回是非見たかった場所である
まず、地図がある。赤色が地上の建物、青い線が地下の空洞。手が指さしている部分が大聖堂となりにある司教館の中庭で、円形のドームとなっている部分
そこを見上げるとこんな感じ
いったいこの場所は何なのか?
もともとはギリシャ時代の水路だったと書かれた本があったが、よくよく説明をきいていくと、貯水槽というのが正しい位置づけと思えた。島だから、ここに地下水道が水を運んでいるのではなく、雨水と湧き水をためておくための空間だった。
貯水槽を補修するために上り下りした古代の穴がところどころにあって、古代の人の足場が刻みつけられていた
現代になるともう水はなくなっていて、第二次大戦時には防空壕として使われた
戦争からの避難に際し、前述の聖女ルチア礼拝堂にある聖女のお棺と左手は、あらたに専用の部屋をくりぬいて安置されたのだそうだ。
地下道は四方へひろがっている
ガイドさんに別れを告げて、言われた道をひたすらゆくと…
なんと、海のそばのこんな出口にたどりついたのだった
なにげなく座っている彼が番をしております。
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大聖堂の広場にあるも一つの教会にも言及しておかなくてはならない。サンタ・ルチア・バディア教会
ここにはカラヴァッジョが1608年に画いた聖ルチアの埋葬の絵が展示されている。
カラヴァッジョはもともと聖女ルチアの遺骸が埋葬された本土にあるカタコンベの上の祭壇に飾ったとされている。
最近までベッローモ博物館にあって、小松も以前にはそこで見たのだが、さて今回はどんな風に展示されているのだろう…え?撮影禁止? え?それに、とっても遠い展示で細部のすごさがよく伝わりません。
天井には、聖女ルチアの奇跡のひとつ、飢餓に際して祈ると小麦を満載した船がシラクーサに入港する図がえがかれている
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シラクーサ最古のアポロ神殿。街のど真ん中にこんな遺跡があるのは、この古代の神殿の残存部分を内包していた警察署の建物を除去した結果。
古代神殿以降に付け加えられた窓の部分などが見える。
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さて、そろそろお昼。近くの市場へいくとしよう。アポロ神殿のある広場から海まで続く一本の道。野菜魚肉なんでも売っている
観光客がすぐに食べられる焼いたパプリカも
小松がいちばん楽しみにしているのは、こんなトマト
これまでの経験から、チューブにはいった市販品とは全く違う味わいなのだ。
からすみもたくさん売られているが、まぐろからつくられた絶品からすみがこちら。ねっとり・しっとりとした味わいが断面からも感じられる
こんなふうに食べる昼食がいいんです(^^)
これで二人分…おもったよりしっかりたべることになった
・・・午後は、オルティージャ島の外のシラクーサを見学しよう。