訪れたいとおもっていのは、福江島の北西の端に位置する「三井楽」。
これを「みみらく」とはなかなか読めない。
ここにある道の駅「ふるさと遣唐使館」へ↓
レストランと共に
遣唐使時代の話が解説されている。パネルを読むと、五島列島は日本の端というよりも、大陸へのメインルートにあたっていたのだ↓
つまり、京都の貴人たちの間では五島の事は知られていたということ。
資料館に「蜻蛉日記」のこんな和歌が紹介されていた↓
「いずことか 音にのみきくみみらくの しまがくれにしひとをたずねむ」
右大臣道綱の母が兄と共に、亡き母に会えるというみみらくをたずねようと詠った。
三井楽はそんな場所として知られていたのか↓
※五島市の公式サイト
三井楽ではもう一か所、小松がこだわった場所がある。「渕ノ元カトリック墓地」は、大きなバスではなかなか入れない道をたどった先にある↓
まばらな民家の先に海が見えてくる↓
きらきら輝く水平線に十字架のシルエットがみえてきた↓
墓は日本的に家族ごとに仕切られており、ぽつんと残された古い墓碑も目につく↓
海辺にこんな台が設置されていた↓これは?
これはサツマイモを干しておくための場所。もとは焼酎の原料としてのサツマイモ用だったが、今では多くはカンコロモチ用の干し台になっているのだそうだ↓
「長崎雑学事典」の永冶さんが自ら撮影した、サツマイモを処理する様子↓
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三井楽を南下して、玉之浦へはいってゆく。日本の灯台五十選に選ばれている大瀬崎灯台は、五島列島屈指の景勝地↓
少し登って三百六十度の展望。夕方の光で複雑な形の玉之浦が輝いている↓
この玉之浦の入江を走っていると、山の頂上にぽちっと建物があるのが見える↓
拡大すると・・・↓
これは、魚見といって、山の上から魚の群れている場所を見極めるための場所だった。
山の上からだと、見る人が見れば「あそこに三十匹ほど」とか分かるのだそうだ。
永冶さんが登って撮影してきた写真↓
魚見にいる人は、入江にいる船に魚のいる場所を伝え、効率よく漁を指導する。
問題は、どうやって山の上から船に情報を伝えるのか?
なんと、手旗信号のように白い御幣みたいなのを振っていたのだそうだ。※同じく永冶さんがお撮りになっていた写真↓ちょっと暗くてすみません↓
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さて、今日の泊まりはコンカナ王国。この名前は「来んかな」という方言だそうな。和洋ともに楽しめるコース↓