旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

マリリンの思い出が残るハリウッドからリトル東京へ

2023-06-08 14:10:34 | アメリカ西部
星型の中にスターの名前が書かれた「ウォーク・オブ・フェイム」は4kmも続いている。

2000人ほどの名前があるが、まだ名前の入っていないモノも多い。

それを使って↑名前を入れて写真を撮る商売をやっていた↑アイデアですね(^^)

ロンドンやパリが有名な「マダム・タッソーろう人形館」もあって

入口にいるマリリンとこんな写真も撮れる(^^)

彼女はこの近くの孤児院で育ち↓この劇場前にもよく来ていた。1927年にプロモーターのシド・グロウマンが建設した「チャイニーズ・シアター」↓

「グロウマンのチャイニーズシアターに行ってはスターの足型に自分の足を合わせたりしていたわ。
そうすることでどんな夢も叶うような気持ちになれたのよ」
↓有名になってからの彼女の回想が↓コインを投げる泉のところに書かれていた↓

集まったコインは孤児院のために使われるのだそうだ。

↑1953年の映画「紳士はブロンドがお好き」のマリリンとジェーン・ラッセルが、二人で手形足型を残しているシーン↓

↑タイトルがまたがって書かれている↑


↑アカデミー賞授賞式が行われる「ドルビーシアター」の入口↑2011年までは「コダックシアター」だったが倒産して、ドルビー社が命名権を獲得した↓


↑入口左右に毎年のアカデミー作品賞の名前が掲げられている↑


すぐ近くでスポーツグッズのお店を発見↑明日行くエンジェルスタジアムよりは安いのでいくつか購入。

↑今日はちょっと見えづらいけれど、「HOLLYWOOD」の看板も見える↑

↑近年、ジェンダー格差をなくそうという動きが顕著なアメリカ↑トイレも男女で色分けされなくなってきた↑アカデミー賞も男性に偏って与えられていたのではないかとか言われている。
**
お昼ご飯はファーマーズマーケットでシュラスコを(^^)

串にささった豪快なステーキを目の前で切り分けてくれる



このお店はひとつのお皿に野菜も肉も・なんでも乗せてその重さで量り売りするスタイル

↑重たい野菜をとるのはちょっと損な気がする(^^)

「葉っぱを多くするのがコツです」(笑)



↑小松のお皿↑これで税サ込15ドルしません(^^)


↑ファーマーズマーケットのシンボルになっている時計塔↑となりのガソリンスタンド↑石油で当てたオーナーが近隣の野菜をあつめるマーケットをはじめたことがきっかけ。

今もフルーツがたくさん

↑ピスタチオとカシューナッツもとってもお買い得でした(^^)


***
今日の宿泊はリトル東京のMIYAKOホテル。

↑近くにあるスペースシャトルのメモリアルへ↓

1986年1月、発射後73秒で空中爆発した「チャレンジャー号」に搭乗していた初の日系アメリカ人飛行士

↑エリソン・オニヅカを記憶するためここに設置され、オニヅカ・ストリートと命名されている。

近くの日系スーパーで

↑KODAファームの米を見つけた↑
1910年に福島から移民し、カリフォルニアに稲作を根付かせた國府田敬三郎の墓をサンフランシスコの日系人墓地でみつけたのを思い出す※その時の頁にリンクします
かれらの仕事は今も継がれている。
※KODAファームのHPにリンクします
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羽田からLAX~空港からサンタモニカ桟橋

2023-06-08 01:36:21 | アメリカ西部
サンタモニカ桟橋は1909年に下水を海に放出するために建設された。

↓このアーチで有名な↓風光明媚な観光地に変貌するまでは曲折があった(後述)



6/8 午後三時。
羽田空港の出国ゲートはいままで見たことないほどの行列↑

↑チェックイン時に顔認証を登録しておくとかなり行列を回避できる↑
↓109番ゲートからJL16便に搭乗↓

↑今回の旅のきっかけをつくってくれた彼の写真が(^^)

機内の半分は外国人客だった。
約9時間のフライト。

ESTA登録をしてあれば紙の書類を用意する必要はなくなった。

一時間かからずに入国し、いつも案内してくださるSさんとミート。

今回はしかし、車を少し離れたターミナルに置かざるをえなかった。
ニ三百メートル先のターミナルまで歩く途中、水道管が破裂したとかで回り道させられた。無事、積み込み完了。このサイズの車だと大型バスよりはるかに動きやすい・止めやすい。目的地の目の前・すぐ近くで乗降できることで、バスの駐車場からの往復時間を削減できる。その効果は大きい。
少人数は快適。バスを大人数で利用するのとは全く違う旅ができる。

今日のSさんはエンジェルスの赤い帽子をかぶっている↑が、番号は「55」?
「松井もエンジェルスにいたんです」
レアな品かも(^^)

紫色の花が道路際の斜面に↑
***

マリナ・デル・レイを散策。
今日みたいな青空の日にLAに到着した幸運をかみしめたい。

9000隻とも言われるヨットが係留してある一帯には↑ペリカンやアシカも共存している↑

これは通称「金のなる木」↑
しらべてみるとベンケイソウ科で、和名「フチベニベンケイ」なのだそうだ。
たしかに縁が紅色になりかけている※「みんなの園芸」ページにリンクします
2017年のスイスでベンケイソウをはじめて認識したっけ※ブログに写真を載せています
これと同じ種類なのか。
****

ベニス・ビーチのエリアには豪邸が立ち並ぶ
こういう家の暮らしにはあこがれない。

犬の散歩さえ誰かに頼んでやってもらうような暮らしには。

カリフォルニアらしい海岸線を二キロほど北上すると

冒頭のサンタモニカ桟橋がある。

20世紀初頭にこのエリアが宅地開発されていくと、生活排水が問題になってきた。
汚水を集めた配管を海岸からできるだけ遠くの海に放出することになり、サンタモニカ桟橋が建設された。
太平洋に突き出した桟橋は西海岸ではじめて。
荒波にも耐えられるように(これまでののような木造ではなく)コンクリートで建設された。

↑一見木の桟橋だがコンクリートの柱?↑
「海の王ネプチューンの降伏。最新のコンクリート桟橋は王といえども破壊できない。サンタモニカ女王は彼を止めた。」と報道されていた。

景色の良い桟橋はすぐに人気の場所になり、人気の釣り場にもなった。
人々の集まる場所を遊園地にしようと、
東海岸に人気のメリーゴーラウンドをいくつも建設していたチャールズ・ルーフが招かれ、
1916にオープン大人気となる↓

↑たしかに、これまで見てきたどのメリーゴーラウンドよりも立派↑
ルーフはコースターやファン・ハウス(珍しいモノを集めた展示館)も建設した。

映画「スティング」に登場した回転木馬はここだった(^^)
現在でも稼働している木製メリーゴーラウンドは世界で70以下という記事もあった。

人が集まり、水浴する人が増えてきたからだろう、
1920年代には汚水処理管は撤去。
このタイミングだろうか、二年をかけて木造の柱に交換したという記録もあった。
現在の桟橋が全部木造とは思えないが、一部は残されている?
よくわかりません。

1930年代ヨットハーバー、パドルボード、サーフィン、ライフガード。
マリンスポーツのクラブハウスがいくつもここに置かれるようになった。

当時、大陸横断の車移動が人気になっていった時代。
シカゴからLAまでの「ルート66」はサンタモニカが終点だった。

今も人気のフォトスポット(^^)


1970年代に入り、老朽化した桟橋の取り壊し計画がもちあがった。

保全運動が起き↑1975年にロサンゼルス郡の歴史的ランドーマーク指定され、現在に至っている。

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空から見た伊勢湾

2023-06-05 09:22:20 | 飛行機
三つの河川が合流する伊勢湾は昔から水害が多かった。
左から揖斐川(いびがわ)、長良川、木曽川。

↑いちばん東を流れる木曽川の東が愛知県、西が三重県。
↑昔なら、東は三河で徳川家康の出身地。

1608年徳川家康は尾張側に47kmにおよぶ大堤防を築き河川氾濫に備えた。
同時に「美濃側の堤防は三尺低くするように」と決めて、
氾濫した水が美濃側に流れるようにした。
※情報元・国土交通省のHPにリンクします

美濃側では流域の耕作地を村ごと輪のように囲う「輪中(わじゅう)」が考え出され流域に45もあったそうだ。
※リンクします

明治になってオランダ人技術者による改修が行われたのが現在の姿。

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