Remains of The Accidents

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【読了】 再会 重松清

2010年05月11日 | 読書
姫さまの小学校に出かけたとき、5年生の教室に生徒たちが書いた
「お薦め図書」というのが掲示されていた

その中に重松清の「熱球」があった

主人公は38歳、20年前の出来事で甲子園出場を棒に振った話
20年の時が経って人はそれぞれの人生を20年分生きてきた・・
という小説である

5年生11歳の彼らに「解る」のかどうか知らないが、自分もそう
やって背伸びして小説を読んできたなと少し思い出した

父も確かその頃に遠藤周作の「口笛をふく時」(1974年刊)という小説を読んだ
癌で死にいく患者が過ぎ去りし日の片思いの相手という設定だったように記憶している
そこから「沈黙」「悲しみのうた」と遠藤周作にはまり「神」について
少々考えたりしたことを思い出す


今回の重松清は「頑張っていない人なんて、誰もいない。でも、ど
うにもならないことはある」とのコピーがつけられた短編集
うまく生きられない人たちの物語といっても良いが、何が幸せで
何が不幸なのか、人生はいつでもリタイヤできるゲームなのに
どうして・・・・という小説か


我々の人生は、両親によって始められ
両親の人生は、その両親たちによって始められる
我々が好んだとしても好んでいないとしても人生はつながっていく
その人生をつなぎきらないことは「罪」でもないが決して褒められることでもない
この「人生をつなぎきれなかった人たち」の話など数編の短編が人生の不思議さと
無力感と、そして再生感を織り成していくようだ

折から少し疲れている現在の自分の環境もあって
うまく生きられない人たちの所作が心に沁みてしまった

重松清は心の襞をめくられてしまう



コメント
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