この夏、北海道にでかけることになった
札幌から旭川、富良野をめぐる
札幌は夏以外何度も
旭川も仕事で訪ねたことがある
ついでに函館も滝川にも立ち寄ったことがある
東京に出てきて以来、毎年夏になると心のどこかで
あこがれていた北の大地だが
こんな形で訪ねることになるとは思わなかった
こちら側の凡人にとって、北海道といえば倉本總である
「優しい時間」は富良野3部作といわれる作品群の一つ
家族、父子のつたない関係を厳しい自然と経済の中で
過ごしている北の人々を背景に描き出している
父は決して仕事のために生きたこともなく
仕事と家庭の選択を迫られたこともない
従って、このドラマに自分を写すこともできない
そう思いつつもドラマの中に引き込まれていく
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ドラマを観て、子どもたちのことを想う
子どもたちの将来のことはわからない
これからどこに向かって進んでいくのか
どんな風に育っていくのか
倉本氏の作品において、子どもたちの人生は
少し厳しく、されど現実的に描かれている
子どもと親の人生に区別はない
それぞれに通り来た道であり、行く道であるとする
子は、大人にならぬまま親になることもあり
子に、育てられて親になることもあれば
親になりきれぬこともある
大自然は、未熟なものを容赦なく淘汰してしまう
人間社会は、未熟なものにも生きる道をつけてしまう
未熟なまま人の上に立ち、未熟なまま「力」を使ってしまう
「力」はときとして、それ自身が暴れだし予想を超える結果を
産んでしまう
それを良しとするか否かにかかわらず
そうなってしまった現実がある
父は、「北の国から」を子でも親でもないときにみた
この「優しい時間」やもう1作「風のガーデン」はシナリオのみ
ではあるが二児の親になってからみている
ぞれぞれに感慨はあるが、早く大人にならねばという想いと
早くあの景色にあいたいとの想いでいっぱいだ