1983年頃の夏だったと思う。
友人と淡路島に遊びにでかけたことがある
同じ部活だった女友達を誘い海水浴にでかけた
友人の車は少し小さく、オンボロだったけれど
少し広かったウチの車で海岸線を下って行った
今のようにインターネットもなく、知らない土
地にでかけるときはよほどの観光地でなければ
ガイドのない旅だった
別に遠くまででかけたわけではないのだが、見
知らぬ土地を走っているだけで、この先本当に
海水浴場があるのかなど不安になって、なんだ
か微妙な感じの地元民向けの海水浴場に吸い込
まれるように入った
駐車場とは名ばかり、小学校の校庭でPTAが
外来の客から料金を徴収して小遣いを稼いでい
るだけだった。
急ごしらえの海の家はただ桟敷とシャワーがあ
るだけの代物で、女の子たちとの海水浴デート
には似つかわしくないものだった
ただ、当時の僕たちに大事だったのは、立派な
リゾートではなく、そこにいて夏の陽を浴びて
いるということだった
目当ての女の子はあまり可愛くないワンピース
の水着、もう一人の”おまけ”の女子も冴えな
い恰好をしていた。
少し沖に浮かべてあった飛び込み台から飛び込
んでみたり、海水浴場の脇にあった磯で遊んで
いるうちにすぐに夕暮れは近づいてくる
海の家のおじさんも、帰宅してビールを飲むこ
としかなくてどんどん片付けていってしまう
仕方なく着替えて車に乗り込む
途中、播磨灘に沈んでいく夕陽を追いかけて走
っているとオレンジ色の風景に、女の子たちの
寝顔が溶けていく
青春映画の一場面のような景色が疲れた体に沁
みこんでいく
PaulSimonの"DUNCAN"が流れていた
なぜか、その曲が流れていたこと、彼女の寝顔
友人のやるせなさそうな横顔がスライドのよう
に浮かんでくる
三十数年経っても青春はモノクロームになった
りはしない、あざやかなカラーで今の僕に問い
かけてくる
去れどわれらが日々は最高だったかと